●「読売新聞」10月24日


東京・三鷹事件 再審請求人の死去にあたっての声明
1949 年7月15日、旧国鉄・三鷹駅で無人電車の暴走により6名の尊い命が失われた三鷹事件で死刑が確定した故竹内景助さんの第三次再審請求審で弁護団は10月20日、再審請求人である景助さん長男の竹内健一郎さん(82歳)が亡くなっていたことを明らかにした。
死刑確定から70年を経て初めての裁判所による証人尋問が決定した矢先の訃報であり、痛恨の極みである。
竹内景助さんは一審で無期懲役、控訴審で証拠調べもなく死刑となり、最高裁では裁判官15人中8 対7という僅差で死刑が確定した。
1956年、竹内さん本人が申立てた第一次再審請求は10年間放置され、1967年に竹内さんが脳腫瘍で獄死したことにより再審手続きは終了となった。
44 年後の2011年、長男の健一郎さんが第二次再審を申立てたが、13年後の2024年4月に最高裁で特別抗告が棄却され終了。これを受けて健一郎さんと弁護団は、同年 9 月、第二車両のパンタグラフが発車時から上がっていたことを示す鑑定など8点の新証拠をもとに第三次再審を請求した。
竹内景助さんを有罪とした物的証拠はなく、その根拠は否認と自白を 7 度も変転した信用性に乏しい竹内さんの「自白」しかない。
そしてこの「自白」と明らかに矛盾する客観的な証拠が明らかにされた。
確定判決では竹内さんは先頭車両のパンタグラフだけを上げて電車を暴走させたとされた。しかし、事故車両の二両目のパンタグラフも上がっていたことは争いのない事実であり、検察側は先頭車両が駅舎などに衝突したことによる飛来物が二両目のパンタグラフに当たり偶発的に上がったと主張してきた。
この間、弁護団はパンタグラフの専門家に事故直後の第二車両を撮影した朝日新聞の写真を鑑定してもらったところ、破損した電柱の一部が二両目のパンタグラフの「舟板」とよばれる部品に接触し、パンタグラフが最初から上がっていなければ生じえない損傷をつくったことが確認された。
確定判決の事実認定をくつがえす決定的な証拠で 、「 疑わしいときは被告人の利益に」の鉄則から再審開始に導かざるを得ない事実であり、実際、東京高裁もここに関心を示したがゆえに証人尋問が決定されたのである。
弁護団は、パンタグラフの証人尋問が11月に実施されることを健一郎さんに伝えようとしたが連絡がとれず、5月8日に亡くなられていたことが判明した。
心よりご冥福を祈るとともに、再審法の不備が今日の事態を招いたことを強く訴えざるを得ない。
第二次再審で、裁判所は13年もの時間をかけながら一度も事実調べを行わず、手続きは終了した。
第三次再審では、検察官の 「 反論書」提出が二度にわたって遅延し、申立てから第一回の進行協議まで1年が経過した。せめて「反論書」が期限通り今年3月に提出されていれば、健一郎さんは証人尋問の知らせを聞けたかもしれないと思うと、悔しさと怒りを禁じえない。
さかのぼれば、第一次再審でも竹内景助さんの申立ては10年間放置された。10年目の7月15日、東京高裁・樋口勝裁判長が記録検討を開始し、秋には竹内さんの尋問と証拠調べに入ろうとした矢先、検察側の妨害により実現しないまま、翌年1月18日に竹内さんは獄死を遂げた。
親子二代にわたり、その雪冤のたたかいは希望の光がさしはじめたこところで打ち切られた。
この非人間的な再審の制度は根本から問い直されるべきである。再審法の改正が今国会で速やかに行われることを強く希望する。
私たちは、再審については弁護団、関係者の判断を尊重しつつ、ひきつづき三鷹事件の真相を究明する市民的な運動を続けていく決意を新たにするものである。
2025 年10 月21日
三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会
日本国民救援会中央本部
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