
なんと10日ぶりの投稿だ。書くべきネタはたくさんあったのだが、文章にする「ゆとり」がなく、一日延ばしが三日、五日、一週間・・・とズルズルと怠けてしまった。結果、ネタは新鮮味がナクナリ、ボツにというありさまだ。忙しさにかまけていたこともある。気持ちが向わなかったこともある。それでも時間は止まらない。超えなければならない山が迫ってくる。心身共に充電し直して向わなければと思う。
当面するとりくみは、この26日に予定している来年度に向けた行政交渉だ。一連の「事件」以後、運動体と行政との関係のありようを見直す動きもあるが、部落問題がなお厳然と存在し、解決を見ていない現実を無視することはあってはならない。しかし、政治や行政の責任を一方的に問うだけでは問題は解決しないことも明らかだ。
大事なことは、問題の解決に向けて知恵と力を出し合い、とりくみの重ね合いを図ることだと思う。一方通行ではない双方向の関係をどうつくるかということでもある。大勢は「撤退」に向いつつあることを見るならば、部落問題でつながる人の輪を広げることなくして、現下の事態を超えることは難しい。
以下は、要求書の前文にあたる文章だ。
私たちの問題意識
1.部落問題の今日的な壁
「特別措置法」がなくなって5年あまりが経過しました。本来ならば、それまでの成果を土台にした地道なとりくみが重ねられ、一歩一歩部落解放への階段を上っていってるはずでしたが、一連の「事件」によってかつてない“逆風”にさらされ、培ってきたものが根底から揺らぐという局面を迎えてしまいました。そして、それ以前からじわっと広がっていた「部落問題はもう終わった」という見方に拍車がかけられ、人々の眠っていた差別意識が呼び覚まされ、それが更新されるという思いもかけない事態になりました。
今や、部落問題は他の人権課題に埋没し、自治体でも教育現場でも、あるいは労働運動や市民運動の世界でも部落問題に光が当てられることがまれになるとともに、「同和はもういらん」「特別扱いだ」「税金の無駄遣いだ」など、あからさまにホンネを口にする状況も出てきています。部落解放運動85年の歴史が勝ち得てきたものはたくさんありますが、「部落差別は社会悪である」との社会的合意もその一つですが、こうした動きは、それを公然と否定するもので、歴史を逆回転させるものだと言わねばなりません。まさに部落問題の今日的な壁ができつつあるわけですが、これをどう超えるのかが、差し迫った課題となっています。
その意味では今改めて、部落問題はどうなっているのか?部落差別の実態はどうなっているのか?問題の解決のために何が必要なのかを明らかにする必要があると思います。
2.差別事件が映し出すもの
ここ数年の差別事件の特徴の一つに「同和地区問い合わせ事件」が増えていることがあります。引っ越しや不動産を購入するときに、そこが部落かどうかを調べようとするもので、たずねる本人には、その行為が部落差別につながるという意識がないことが多く、いわば“聞いて当たり前”で、市役所や学校は“教えて当たり前”といった態度で接してきます。
2005年に大阪府がおこなった府民意識調査によると、家を購入したり、マンションを借りたりするときに、「同和地区にある物件をさける」と答えた人が43.4%で、「こだわらない」の20.8%を大きく上回っています。また、同じ調査で、部落に対するイメージについて、「上品:0.6―下品:45.8」「やさしい:2.6―こわい:53.6」「清潔:1.6―不潔:39.7」となっています。
部落を避けたいという考え(忌避意識)の根っこには、部落に対するこうしたマイナス・イメージ(差別意識)があり、それらはいわゆる世間のうわさ話によって人から人へと語り継がれ、人々の記憶に刻まれていってるのだと思います。「問い合わせ事件」は、こうした現実の一端が表にでたもので、それを丁寧にほりこして、読み解いていくことによって、差別がいかに理由のないもので、不当なものであるかが見えてくるはずです。一つひとつの「事件」の根にあるものにつきとめることが大事だと思います。
3.差別の現実を見つめる
私たちの足元を見ると、これまでのとりくみによって部落差別はあからさまでなくなり、毎日のくらしの中でもことさらに意識しなくても困ることはなくなってきつつあります。落書きや問い合わせ、インターネットでの書き込み、電子版の「部落地名総鑑」など、部落差別別事件はおきていますが、「私」に直接ふりかかることはまれなこともあって、ストレートに怒りがわいてきません。また、「飛鳥会事件」が身近で話題になったときに、反論したり、口をはさむこともなかなかできなかったと思います。それは、自分が弱いからではなく、社会や世間に部落差別が生きていて、人々をとらえ、そのまなざしが私たちに突き刺さることを感じているからです。
差別糾弾闘争はこの差別を撃ってきました。行政闘争はその差別を生み出す実態を撃ってきました。しかし、それでもなお差別はなくなっていません。この差別が生きている現実が、差別されるのではないかというおそれや不安を私たちにもたらすのです。問題はこの差別から自由になるために何をしたらいいのかということです。
4.部落問題と向き合い、人とつながる
一つは、言うまでもないことですが、私たち自身が部落差別から目をそらしたり、逃げたりしないで、自分の問題としてひきうけることです。部落差別が生きているということは、それがいつなんどきふりかかってくるかもしれないということで、それは「私」でなくても、家族や身近な人がであうこともありますから、そのときに「私」はどうするのか?何ができるのかが問われます。一生、そんな目にあわずにすごせたらいいわけですが、そんな保障はどこにもありません。だから、自分で自分を守るすべを身につけるしかありません。でも一人でできることは限られていますから、人との出会いを通じて、自分を磨くことが大事だと思います。
もう一つは、差別は人と人が出会うときに現れますから、部落差別をなくしたいという私たちの思いをできるだけ多くの人に伝え、響き合う関係をつくることが大事です。部落問題にはできれば触れたくないというのが、おおかたの人の考えですから、そこに私たちの側から切り込むこと、そのための力をつけること、これが必要です。「差別しているのはあんたらやから、あんたらが悪い!」と百万回叫んでも差別はなくならないのですから。だから、部落問題でつながれる新しい人間関係をつくることが不可欠です。その際に大事なことは、部落差別から解放されたいと願う人たちが、自分の殻に閉じこもらずに、どれだけ外に向かって心を開いて想いを発し、つながるために動くかということ、言い換えれば、部落問題を前にして構えず、奢らず、肩肘張らず、どれだけ自然体になれるかということにあります。
5.知恵を出し合い、創意工夫を重ね合う
これから私たちが進む道は、これまでのような“追い風”ではなく“逆風”であることは間違いがありません。だから、これまでと同じような考えやスタイル、対応ではこの先の道を拓くことはできません。部落問題の今をみすえた新しいものをつくりだすことが求められているのです。
これは豊中市との関係においても言えることです。部落問題を解決する責任が政治や行政にあることは間違いありませんが、それもこれまでのように要求をつきつけて、“追及”すればいいという時代ではなくなってきています。問題解決のために知恵を出し合い、創意工夫を重ね合う、そういう関係をつくることが必要だと思います。
かつては、「同和」対策事業が部落問題の学びの入口になり、「人権派」ともいうべき人材(職員)をつくってきました。しかし、今はそうした機会が少なくなくなるとともに、いわゆる「団塊の世代」の退職が重なり、人材が底をつきつつあります。もちろん、市の財政はいぜんとしてきびしく「ない袖はふれない」状況にあるだけに、人材を得ることができるかどうかは大事なことになってきています。