ストーン・リバー:2008年4月
2008-04-29T22:58:02+09:00
sayamaziken
冤罪・狭山事件の再審開始を!
Excite Blog
4月29日、時代の風“プレカリアート”
http://burakusabe.exblog.jp/7804463/
2008-04-29T22:57:51+09:00
2008-04-29T22:58:02+09:00
2008-04-29T22:58:02+09:00
sayamaziken
2008年4月
プロレタリアートとは、生産手段を持たない人。収入を得る唯一の手段は自らの労働である人々」で、生産手段を持つ人=資本家(ブルジョアジー)の対語である。一方、なじみのない言葉だが、プレカリアートとは、「不安定な」(英precarious、伊precario)という形容詞に由来する語句で、新自由主義経済下の不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者および失業者を総称する言葉で、国籍・年齢・婚姻関係に制限されることなくパートタイマー、アルバイト、フリーター、派遣労働者、契約社員、委託労働者、移住労働者、失業者、ニート等を包括する。
勝ち組・負け組、格差社会、市場原主義、競争社会、グローバリゼーションなど、今日の社会は様々に形容され、多くの人々が生きづらさを感じているのは事実だ。だが、既成の抵抗勢力はその機能を発揮するには至っていない、というか機能不全に陥っている。したがって、閉塞感は強まり、深まる一方だが、それでも歴史はいつの時代も名もなき人々によって切り拓かれてきた。各地で始まったプレカリアートの反乱は歴史の胎動とも言うべきもので、時代は液状化しつつある。
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4月28日、部落解放運動は誰のもの?
http://burakusabe.exblog.jp/7793841/
2008-04-28T11:34:00+09:00
2008-04-28T11:37:21+09:00
2008-04-28T11:35:01+09:00
sayamaziken
2008年4月
全国水平社から86年、「内閣同和対策審議会答申」から43年、部落問題の解決を願う人の輪は広がり、深まってきたことは間違いがない。昨今の「不祥事」が一時的には逆流となって押し寄せてきたが、それでも事態を根本的に変えるには至っていない。それほどに確かな礎を築いてきたのだと思う。
しかし、前途を楽観することができないのもまた事実だ。「不祥事」が人々の記憶から薄れ、口の端にのぼることがなくなったとしても、打撃はボデイブローのようにきいてくる。だから、問題は解決されたわけでもなく、地下深くもぐっているに過ぎないことを心すべきだろう。
だが、部落解放運動の世界でそうした問題意識を(危機意識)を共有する者は多くはなく、希少なのが現実だ。はおおかたの人々は思考停止状態か、善意ある人々も徒労感を募らせたり、果てはあきらの境地にあるように思う。だから、そうした中でなお異論や異見を発することは、周りから見れば一種“異様”で“際立つ”ことになることは避けられない。
「ものすごくたいへんなこと」とか、「高く評価する」などという人もいるが、私自身にはそんな自覚も意識も気構えもない。私のポジションから思うがままを発信しているに過ぎない。それを第3者がどう受け取り、どう評価し、どう書くかは自由だ。だけど、悲しいかな、いくつかの書きぶりには、部落問題や部落解放運動の宿痾(しゅくあ=前々からかかっていて、治らない病気)とも言うべきものを垣間見る。
それはつまるところ、それぞれの言動をもとにシビアな意見交換を通じて、問題克服への道を探すために汗するのではなく、「立場や資格」を、ひいては部落出身か否かを云々するという愚に囚われているように思う。自らを絶対の高みにおいて、評論するというありようのいかがわしさは今更言うまでもない。部落解放とはどういうことか?を考えただけでも自明のはずだ。部落問題や部落解放運動を部落民の専売特許だと思っている限り、部落差別からの解放はあり得ないことを知るべきだろう。
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4月22日、「名乗ること」(カミングアウト)
http://burakusabe.exblog.jp/7758267/
2008-04-22T20:24:39+09:00
2008-04-22T20:24:48+09:00
2008-04-22T20:24:48+09:00
sayamaziken
2008年4月
「全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。」「吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。」と水平社宣言は謳う。まさにカミングアウトの極致だ。部落解放運動は、隠さずに名乗ることから始まったと言ってもいい。というか、名乗ることと隠すこととのせめぎ合いが部落解放運動だと言ってもいいくらいだ。
話は21世紀の現在に飛ぶ。劣悪・悲惨と形容された被差別部落の実態が劇的に改善され、部落外との格差が是正され、また、部落差別は社会悪であるとの理解が広がり、公然たる差別が影を潜る中、部落差別はいわゆる表通りからは見えなくなった。加えて、被差別部落の人々もことさらに部落差別を意識して暮らす必要もなくなった
結果、部落においても部落外においても、部落差別が見えないもの、触れないものになり、問題意識や関心の埒外になった。これは一面では、これまでのとりくみの「成果」だと言える。しかし、部落問題は忘れ去られることによって解決されるのか、あるいは、その先に部落解放が展望できるのかと問えば、ノーと言わざるを得ないというのが私見だ。
では、今、抱えている問題は何であり、この先の展望はどうしたら切り拓くことができるのか?私ごときの手にあまる困難な問いだが、一つだけ思うところがある。それは、部落問題の存在を顕現化することが必要だということだ。格差是正によって、人権意識の高まりによって、その存在にベールがかけられ、人々の視野から消えた部落問題の存在を意識的にクローズアップすることだ。
そのためには、被差別部落の存在、部落差別が生きている現実を突き出すことだ。そのためには、何よりもそれをなす主体である者のカミングアウトが不可欠だ。部落解放運動はそのための人づくり運動であるべきだろう。人と人が出会うさまざまな場所・場面において、当事者が当事者としてたち現れることによって、その関係をつむぎ直す、これが大事だろう。
もちろん、今更の感はぬぐえず、それが功を奏する保障もなく、冷笑で迎えられるかもしれない。しかし、自らを部落解放の主体者として位置づけるにはそれしか道はないし、それが、響き合いと重なり合いに通じる道でもあると思う。
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4月20日、陽気に誘われて
http://burakusabe.exblog.jp/7744553/
2008-04-20T21:10:00+09:00
2008-04-20T21:24:18+09:00
2008-04-20T21:10:51+09:00
sayamaziken
2008年4月
三寒四温もいつの間にか過ぎ、桜も散り、春真っ盛り。でも、今日の大阪は上着の背中が汗ばむ初夏の陽気。まちは、平穏そのもの。行きかう人々の胸を去来するものを読むことはできないが、悲喜こもごも、さまざまな思いが詰まっているのだろう。でも、好天の休日のひとときをを愛でる心はまだあるのかもしれない。
空は蒼く、白い雲が映え、日差しは身体の芯を熱くし、風は心地よく頬をなぶfる。今、この時、この場所に在って、生きていることを感じる。人は生かされ、生きている。そして、生を創る。
あかるい娘ら
わたしの心はかなしいのに
ひろい運動場には白い線がひかれ
あかるい娘たちがとびはねている
わたしの心はかなしいのに
娘たちはみなふつくらと肥えていて
手足の色は
白くあるいはあわあわしい栗色をしている
そのきやしやな踵(かかと)なぞは
ちようど鹿のようだ
『中野重治詩集』(岩波文庫)より
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4月17日、希望をつなぐ
http://burakusabe.exblog.jp/7725762/
2008-04-17T22:31:22+09:00
2008-04-17T22:31:31+09:00
2008-04-17T22:31:31+09:00
sayamaziken
2008年4月
年度が変わっても、年に一度の大会が開かれても、あるいは人の入れ替わりがあっても、厳しい事態は変わらず、期待した議論は起こらず、新しい風は吹かず、閉塞感だけが強まる。そんな感覚が拭えないこの頃だ。
事態を憂えている人は、あちこちにいるはずだが、なかなか表には出てこない。だから、時折、自分は意識過剰なのかとすら思う。そして、心ある人は、いつしか疲れ果て、一人去りしていく。あとに残るのは、繊細な気配りを欠き、人間関係の機微に無頓着な人だけだ。かくして、再生も改革もかけ声だおれになり、死に至る病がピークを迎える。
いみじくも平松大阪市長が府連大会のあいさつで言ったが、部落解放運動も「同和」行政(教育)も、寒風吹きすさぶ冬を越えて「凍土」の中にある。大阪府の財政再建案の「同和」人権行政の「ゼロ査定」はその象徴とも言える。私の足下を含め、各方面に多大かつ致命的な影響をもたらすことは必死だ。だから、「反撃」が必要なことは間違いがないが、もはや組織や運動にその「体力」はないような気がする。
いわゆる「危機」に際しての対応は二通りある。過ぎ去るまでじっと待つか、身を晒して立ち向かうかだ。この間の「戦後最大の危機」を前者でやり過ごしてきたわけだが、それが致命的ともいえる結果を招いたと思う。機を見るに敏であらねばならないのに、あまりに鈍に過ぎ、再生への絶好の機会を自らつぶすという愚行を重ねた。「ピンチをチャンスに!」などと言葉遊びをする暇などなかったのだ。だから、今さら笛を吹いても踊る者はいない。バッシングをかわしたと思い、すくめた首を出してあたりを見回したら、風景は一変、そこには誰もいない。遅きに失したのだ。
厳しいこと、困難なことは私の足下でもたくさんある。同盟員もかつては200人をこえていたが、今は100人をきった。言うまでもなく、「特別措置法」が切れて、事業がなくなった結果だ。同盟員になって部落差別をなくすために運動することと、同和対策事業をうけることとは別だが、33年もそれが続いたこともあって、「運動=事業」という考えが身についてしまった。だから、事業がなくなれば、解放同盟に入っていることの「メリットはない」というふうに思ってしまい、やめることになる。そういう運動しかつくってこれなかったのだ。
大会のありようや支部の実情をみると、ためいきがいくつも出る。それでも部落差別がある限り、あきらめるわけにはいかない。そして、そんな私の思いと共振し、部落問題をジブンゴトとし、差別のない、人権のまちをつくる夢に向かって汗する人もいる。だから、常に自分の部落問題を見る目を養い、問題意識を進化させ、そんな人たちと刺激しあい、高まりあう関係をつくることに希望をつなぎたいと思う。
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4月16日、ある教員へのラブレター
http://burakusabe.exblog.jp/7718077/
2008-04-16T20:16:29+09:00
2008-04-16T20:16:37+09:00
2008-04-16T20:16:37+09:00
sayamaziken
2008年4月
部落問題がそこにあり、部落の子どもがそこにいることから、眼をそむけずに、これと向き合ってほしいと改めて思います。世代や体験・経験の違いがありますから、おしなべて一様にはとりくみをすすめることはできませんし、横並びを求めることも現実的ではありません。
そうしたきびしい「現実」をふまえた上で、そこから半歩でも一歩でも前に進むためには、いささかでも「似通った空気」を吸ったことのある者たちが、リードオフマンとなって、事態を導くことが必要だと思う次第です。お二人ともそうしたポジションにあることは重々ご承知であることを知りつつ、あえて言葉を重ねることをご容赦ください。
タテマエとホンネとの乖離はどこの世界でもありがちなことですが、こと部落問題に関しては、より露骨に現れます。タテマエに身を包んでいるうちは、逃げることはできませんが、タテマエすらもかなぐり捨てて、「部落問題はやりたくない、しません」と公言するに及んでは、もはやとりつく島はありません。そう、残念ですが、やらなくてもそれで済む、「やらない自由」もあるんです。ゴーイングマイウェイでやり過ごせるんです。
もちろん、私はそうした状況に苛立ちや不快感を覚えますが、あえて、それを撃とうとは思いません。詰らずに、見守って、待つことに徹したいと思います。子どもや保護者がその胸の内に抱え込んでいるものが何であるのか?いつか必ず、そうした人たちの心にも届くと思うからです。
でも、事態が悪化しないように、また、前に進むように、予防役や促進役を果たす人がいれば、とてもうれしいです。とてつもないことを言ってるとは思いません。目の前にある部落問題を当たり前に取り上げてほしいだけです。そのために誰が、何をすべきかを考えてほしいのです。お話をさせていただいて安心すると同時に、期待をしたいと思いました。
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4月15日、思いつくまま③~「絶対化」と「相対化」について~
http://burakusabe.exblog.jp/7713113/
2008-04-15T23:19:45+09:00
2008-04-15T23:19:53+09:00
2008-04-15T23:19:53+09:00
sayamaziken
2008年4月
「得体のしれなさ」と「こわさ」を越えるためには、言うなれば「逃げないこと」が大前提だと、前号で言った。しかし、無防備なままでは、前に進むことはできない。目の前の部落問題と向き合うためには何が必要か?
そこで思うことは「絶対化」と「相対化」ということだ。誰しも自分の見方や考え方が端から間違っているなどと思っている者はいない。程度の差はあれ、自分は「絶対」であり、この感覚があればこそ、確固として存在できるとも言える。しかし、同時に人は「絶対」ではあり得ないことも知っている。
部落問題について言えば、人はそもそも自分の見方が偏見・差別に染まっているなどとは思わない。無色透明ではないけれど、そこそこいけていると思っているはずだ。それが、他者・異世界との出会いを通じて、検証される事態になって初めて、揺らぎに晒される場面に遭遇する。それを受け止め、自身を見つめ直すか、あるいは、そこでもなお自身に固執し、揺らぎを押さえ込むかの選択がある。自身を相対化できるかどうかが分かれ道だ。
「絶対化」の罠に落ちるのは、被差別者の側の常とも言える。被差別―差別のスケールにおいては、往々にして被差別の側が優位に立つ。被差別の現実を突きつけることによって、差別の側を撃つことほどたやすいことはない。部落解放運動も長年、この呪縛に囚われ、今なお払拭しきれていない。被差別性は「絶対」の力を発揮することを知っているからだ。
しかし、いつまでもそこに安住してきたことが、いまや致命的となっている。「絶対化」が通用した背景には、圧倒的な差別の現実があった。それが解消され、一般化された状況下では、もはやそれは桎梏となっているからだ。だから、自らを「相対化」できなければ未来はない。
絶対化から相対化へ、このプロセスをどうたどるか。言葉ではたやすいが、そこに至るには厳しい試練を越えなければならない。でも、その先の世界は、ワンダフルであることは間違いがない。
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4月14日、思いつくまま②~「得体のしれなさ」と「こわさ」について~
http://burakusabe.exblog.jp/7704673/
2008-04-14T20:44:17+09:00
2008-04-14T20:40:38+09:00
2008-04-14T20:40:38+09:00
sayamaziken
2008年4月
「葛藤」と「躊躇」を自覚し、それを超えようとすると「もがき」の世界に踏み入らざるを得ないが、そこでは、部落問題の「得体のしれなさ」と「こわさ」との格闘を避けて通るわけにはいかない。だから、その時点で撤退することも可能で、そうすれば部落問題との一定の距離がとれ、「葛藤」や「躊躇」、「もがき」からも自由になれる。たいての人はそういう無難な選択をするものだ。ところが、それに飽き足らないのか、中には目の前の部落問題にあえて触ろうとする「奇特な人」も現れる。
しかし、それは言葉で言うほど簡単なことでもないし、覚悟を決めていたとしても予想を超える厳しさが待ち受けている。そして、そのたびに「ああ、やっぱり越えられないなあ」と溜息をつく。しかし、そうしたゆり戻しの繰り返しは、確実に「こやし」になっていくはずだ。だから、あきらめずに、こだわりを持ち続け、扉の向こう側への「好奇心」を持続することだ。
行きつ戻りつを含めたそうした試行錯誤の積み重ねは、いつしか一つの「飽和点」に達し、いわば小さな小窓が開く事態を迎える。そして、憑き物が落ちたかのような感覚がおとずれ、世界が少しだけ変わって見えてくる。部落問題の「得体のしれなさ」の正体は、まがうことなき幻想であり、差別・偏見そのものであり、「こわさ」は「得体のしれなさ」という底なし沼から立ち昇り、浮遊する靄(もや)のごときものに過ぎないのだ。
そこにおいて初めて、既成概念や社会通念に囚われた自分からの解放が可能になるように思う。(続く)
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4月13日、思いつくまま①~「距離感」について~
http://burakusabe.exblog.jp/7694540/
2008-04-13T11:17:00+09:00
2008-04-14T20:41:10+09:00
2008-04-13T11:17:43+09:00
sayamaziken
2008年4月
「人は、なぜ部落問題に関わろうとしないのか?あるいは、なぜ関わるのか?」
これが、今の最大の関心事だ。無論、簡単に答えが出せる問いではない。そこで、思いつくままに、駄文をつらねてみたいと思う。
先日、ある人と話した。その人も縁あって、いわゆる部落問題の世界に関わりを持つようになったのだが、最初は「敬遠」していたきらいがあったらしい。でも、いろんなとりくみの中で、またそこで人との出会いを通じて、部落問題と向き合うようになったと言う。
私はそれを聞きながら、「距離感」という言葉を浮かべた。改めて言うまでもないが、やっぱり多くの人にとって部落問題は「遠い」問題なんだ。その距離を埋める、というか近づけることが大事だなあと。しかし、どうしたらそれができるのか?これまた難問だ。「無縁・無関係」と思っている問題を「縁も関係もある」問題にするには?
そこへ行く前に、そもそもなぜ、「距離感」が」あって、「無縁・無関係」だと思うのか?について考えたい。そこには、これまた自明だが、部落問題の「不可視性」、いわゆる、見えないし、触れないということがあるように思う。それは、「得体のしれなさ」となり、ひいては「こわさ」に連なる感覚を生む。
だから、「無縁・無関係」から一歩踏み出して、向き合おうとしても、そうした感覚は抜け切れないままであり、そこでは「葛藤」がおこることになる。他人事として涼しい顔をする自分は許せないが、かといって、身体ごとそこに入りきる「躊躇」からは自由になれない。(続く)
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4月11日、絶滅危惧種が象徴するもの
http://burakusabe.exblog.jp/7679271/
2008-04-10T23:42:41+09:00
2008-04-10T23:42:48+09:00
2008-04-10T23:42:48+09:00
sayamaziken
2008年4月
何度か書いてきたことだが、今時、部落問題に本気でとりくもうとする人は“奇特な人”であることは間違いがない。最近、学校の教員と話をする機会があって、そうした人は“絶滅危惧種”だと言った。それほどに、教育現場においても部落問題は埋もれている。
その背景には、いくつかの事情があることは確かだ。部落差別の実態が改善され、それとは目に見えなくなったことが一番大きい。かつては、「今日も机にあの子がいない」に代表されるように、目の前に部落問題があり、否応なしに対応を迫られる場面があった。あるいは、部落解放運動の進展のなかで、「部落民宣言」がとりくまれ、これまた否応なしに向き合わざるを得ない場面もあった。まさに、部落問題はそこにあったのだ。
しかし、21世紀の今日、誰もが「部落差別はいけない。私は差別しない」と言うようになり、部落問題が見えなくなったこととも相まって、部落問題は言葉の真の意味で「他人事」になった。だから、あえて触る者がいなくなったのは必然のなりゆきとも言える。
もちろん、部落の中でも、部落問題を自分ごととして向き合う人は数えるほどになり、その他大勢の人はやりすごして暮らしている。あえて意識しなくても済むようになってっきたという意味ではプラスなのかもしれないが、部落差別がなお生きている事実に変わりはない。だから、それが、いつ・どんな形で降りかかるとも限らないのが、これまた現実だ。
学校現場においては、事情はさらにきびしい。目の前に部落の子どもがいても、それに対応する術を知らず、手をこまねくというのが実情だ。むろん、その前提には教員自身の部落問題観があるのだが、それを持っている者はとなると、とても不安になる。大方は、「いまさら、部落問題なんて?」と思っているし、自ら手を染めるなんてことは思いもしない。
だから、絶滅危惧種は常に“孤高を極める”覚悟を要請される。それを承知で、妥協をすることなく、まっすぐに「夢」に向かって歩くことによってしか道は拓かれないのも事実だ。安易な妥協や譲歩は死に通じるからだ。だから、頑なと映ろうが、非妥協を貫くことが要請される。
問題は、絶滅危惧種の悪戦苦闘を涼しく眺めて終わるのか、そこに我が身を投じて“渦中の人”となるのかどうかだ。そこにおいて、それぞれの部落問題との距離が露になり、本気の度合いが示されることになる。ゆめゆめ、他人事と思うなかれ!
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4月10日、試練を糧に自分を磨く
http://burakusabe.exblog.jp/7677516/
2008-04-10T20:36:14+09:00
2008-04-10T20:36:21+09:00
2008-04-10T20:36:21+09:00
sayamaziken
2008年4月
人にはそれぞれに固有の思考と行動のパターンみたいなものがある。思いついたら居ても立ってもいられなくなり、すぐに行動する人もいれば、じっくりと考えをめぐらした末に、やおら立ち上がる人まで、さまざまだ。どちらかというと、私は、後者の部類に属すると自覚しているが、ときには考えるより前に身体が動く、いや、事態に即応しなければならないこともある。
そこでは、判断力と決断力が問われることになるが、まあ、そんな場面は数えるほどしかない。それよりも一番、頭を悩ますのは、引くべきか進むべきか、直進すべきか迂回すべきか、一息入れるべきか間断なくやりきるべきか、そういう場面に立ち至ったときだ。
性格というか身に付いた悪癖というべきか、変化球を投げることが苦手で、直球勝負を好む私は、他人から見れば譲り合い精神のないやつだと思われている節がある。思考や行動には、その人のありようが映し出されているが、さしずめ私などは、いい意味では清廉潔白とも言えるが、逆の意味では度量が狭く、融通がきかないということになる。
そのように自己分析をするのは、道をつけるべきさまざまな問題があり、そこでは一様ではないありようとふるまいとが求められているからで、結果、否応なしに我が身を振り返ることになる。果たして、自己内対話と自己内闘争、自問自答の時間の先に、何が待ち受けているのか。その淵を見るのは怖くもあるが、心躍ることでもある。
人はいくつになっても変わることができるが、変わり続けることはできるのかとの問いが浮かぶ。変化=進化(成長)=深化(熟成)の波、あるいは、それを呼び込む契機や刺激は不断に訪れるものではない。だから、その恩恵に浴するというのはとても幸運なことなのだろう。平々凡々に恙なく暮らすことも選択の一つだが、試練を糧に自分を磨くのが自分らしさでもあるかなと思うこのごろだ。
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4月10日、「旬」に賭ける
http://burakusabe.exblog.jp/7672968/
2008-04-10T00:12:34+09:00
2008-04-10T00:12:40+09:00
2008-04-10T00:12:40+09:00
sayamaziken
2008年4月
4月は「年度」が変わる月、あちこちで新しい人との出会いがあり、期待と緊張がないまぜになる。その風景は百場百景で、目標を見定めて、着実にかつ真剣に新しい高みをめざして踏み出す所もあれば、厳しいけれど、まあ、こんなものとお気楽に構える所もある。一体、その落差はどこから来るのだろう?一言で言えば、問題と向き合う本気さと真摯さの違いだろう。
あえて手をつけなくても、そこそこにやっていけば、平穏無事に時は過ぎる。ことさらにそれを咎めだてする者は、まず現れない。しかし、それで事が済めば万々歳だが、そうは問屋が卸さず、帳尻合わせを迫られる事態は来る。だから、言うわけではないが、やはり、問題をきちんと見据えて、自らのありようと重ね合わせることが大事だろう。
そして、もう一つ、人の入れ替わりは、ポジション替えをもたらすが、その行く末も事態の進行に大きな影響を及ぼすから、無頓着であるわけにはいかない。ことさらに目的意識を持たず、上っ面をなぞるだけでよしとしている者は、八方美人的かつ無味無臭的であるがゆえに、とても始末が悪い。それでも、そこに方向を示し、色づけをしなければ、目指す山には登れない。
だから、自ら好むところではないけれど、その役割の一端を担わざるを得ないところにたち至っている。行く手には、あれもこれもの荷があり、どれ一つも捨てることは許されない。人間に「旬」があるとするなら、それが今、この時期なのかもしれない。そう心を定めれば、越えることができるかも・・・。
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4月9日、飛べ!
http://burakusabe.exblog.jp/7664185/
2008-04-08T20:41:14+09:00
2008-04-08T20:41:21+09:00
2008-04-08T20:41:21+09:00
sayamaziken
2008年4月
議論が起こらず、じわりと危機が進行しているのは私の足下も例外ではない。だから、焦りもするし、悪あがきもする。そうした諸々の厳しい事態の責めを負うべきは、自身であることを深く、深く肝に銘じつつ、少しでも飛ぶことができないものかと思いを巡らし、妙案を探す。しかし、染みついた垢はなかなかとれず、思索や行動も自由になりきれない。
人はそれぞれがよって立つ位置と立場によって認識を異にするし、同じ場面を前にしても、判断を同じくする保証はない。矛盾が錯綜し、危機が深刻化する中では、ささいな違いやずれが決定的なものにまで至ることもある。だから、現状を憂うる心と、事態打開への揺るぎない心をいかに共有するかがとても大事になる。
しかし、こんな限界を極めるような思考パターンにつき合う人は、なかなか見あたらない。だから、言葉や文字は尖り、心は敏感にならざるを得ない。それは時には「身内」を撃つに至ることもある。が、そうしたありようは忌避・拒絶されることはあっても、賛同・共感に至ることはまずない。そうしたことを十分に知りつつ、なお私は「今」を変えるためにあくせくする。
飛 行 機
石 川 啄 木
見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。
給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
ひとりせつせとリイダアの獨學をする眼の疲れ……
見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。
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4月8日、時代は閉塞
http://burakusabe.exblog.jp/7659049/
2008-04-07T23:58:49+09:00
2008-04-07T23:51:16+09:00
2008-04-07T23:51:16+09:00
sayamaziken
2008年4月
他者を批判することは、我が身を斬ることと同意であることは知っている。それによって、自身が致命傷を負うこともあるかもしれないが、そこを避けて通れない場面に出会うこともある。避けることができればそれにこしたことはないが、併せ持った性格が災いするのか、あえて踏みこむことが多い。
批判が受け入れられることは皆無で、無視・黙殺が常で、また、それによって議論が起こることもない。むしろ、異論や異見をかき消すピエロ役が登場するのが落ちだ。それほどに、淀みは深く、底は見えない。だから、酸素不足で浮く事態が迫っているような気がする。
座して死を待つのか?抗って道をつけるのか?それとも、脱出するのか?おそらく先を見るに敏な人たちは、未来図を描いているのかもしれない。しかし、不器用な私は、可能性を捨てきれず、波間に漂う小船の中にある。母船は既に遠くにあり、帰ることは難しい。だから、自前の羅針盤を頼りに港を目指す。
石川啄木
地図の上朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く]]>
4月7日、府連大会の発言の最後に言ったこと
http://burakusabe.exblog.jp/7646559/
2008-04-06T11:35:00+09:00
2008-04-07T18:50:21+09:00
2008-04-06T11:35:17+09:00
sayamaziken
2008年4月
進化と切磋琢磨をめざして
厳しいこと、困難なこと、やるせないことなどは尽きず、なげやりな気分になったりもすることは希ではありません。しかし、私が今あるのはたまたま出会った部落問題との30数年間のつきあいがあってのことで、それは私自身をつくるうえでの不可分の要素となってきたことは間違いありません。そして、今や部落問題をみつめ、その何たるかを問い続けることが生きることと重なりあっていることも確かです。
来し方を顧みると、故人を含む多くの人の顔が浮かび、かけがえのない交わりをしてきたなあとの感慨が押し寄せます。人は人によって人になるわけですが、私につながる人のほとんどは部落問題につながる人であり、その意味でも、私は部落問題によって人になってきたのだと思います。わけても、ハッピーだと思うのは、豊中というムラが、私のようなヒネクレ者がその看板を背負うことを許す、自由で進取の気性があるムラであったことです。これは、まさに豊中水平社以来の歴史と伝統のたまものだと思います。だからこそ、それを絶やしてはならないとも思うわけですが、組織と運動は間違いなく、エピローグの段階にあると思います。
そんな中で、私にできることは、部落問題を考える人を一人でも増やし、部落問題でつながる人の輪を広げることぐらいかなと思います。そのためには、常に自分の部落問題観を問い直し、問題意識を進化させなければならないと思っています。「奢らず、構えず、偉ぶらず」多様な人との切磋琢磨しうる関係を、これからも大事にしていきたいと思います。
写真:府連大会であいさつする平松大阪市長
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