時のうつろいは早く、もう2月も終わりに近づいている。しかし、懸案処理はそうはいかず、先行きはまだ不透明だ。部落解放運動も然りで、「改革・再生」をメインとする全国大会も、解散・総選挙の渦に飲み込まれていくことは間違いない。政権交代は必要なことではあるだろうけれど、それは果たして「チェンジ」の入り口になるのか?全てをそこに集約できるものではないことだけは確かだ。
「たとえ組織のなかにあっても、葛藤する『私』つまり最小単位としての個からはじめるしかない。自律分散的な、自分の頭で思考する個ないし個群から出発する必要がある。安易な唱和ではなく自律分散的な行動と内省、自己決定がこれからは大事だと思います。」と、辺見庸が言うように、他でもない、このただ一人の私から、自律した思考と行動をするしかない。
もちろん、私ひとりがどうあがこうが、「組織」はビクともしないし、事態が動くこともあり得ない。分かり切ったことではあるけれど、そうせざるを得ない、止むに止まれぬ、自分を突き動かす衝動を感じるうちは、それに拠るしかない。「唱和」する多数のひとりになれば、安楽だろうが。