中央本部・谷元さんのコメント
答弁するまでもなく、自身が自分の中で答えを出してくれてるという思いがしています。ただ、この厳しい状況のなかで、部落解放運動がもっと熱い思いをもった運動に姿を変えることができるんではないか?そういう提起であったと受け止めています。そういった意味では、解放運動事態が戦後最大の危機にあると言ってきましたけども、それを脱却するために今、私たち一人ひとりが何をせんといかんのか?何をすべきなのか?誰かが言うてくれるのを待っているのではなくて、自分が置かれている立場を自分で考えながら、人間として自立した発想に立たないといけない。そのことが問われていると思います。
部落解放運動をこのままつぶしていいのか?そこまでの危機意識を持ってこの事態に当たらないといけない。85年の闘いの歴史でつくりあげてきた部落解放運動を停止していいのか?停止していいほどに差別はなくなっているのか?そうではないだろう。そういった意味で、方針書に運動論と組織論は出てるけれども、解放理論が出てないんじゃないというのは、その通りだと思います。出されていません。出し切れていなんです。
差別はどのように現れているのか?自分たちの地域の中でどういう実態になっているのか?自分たちの力でつかまえているのか?ここが非常に大切だと思うんです。自分たちの手で差別の実態をつかまなかったら、新しい解放理論というのはできあがらないんです。解放理論というのはどこか上から降ってくるものではないんです。地域の現実からしか解放に向けた現実的な理論は出てこない。そういった意味で、解放理論の想像を地域から、自分の言葉でという佐々木代議員の思いに賛同します。
第五中学校でのはみごを出さないなかまづくり、部落内外とつながる、こういったとりくみが大切ではないか。ただ、部落解放運動を考えるときに、外とのつながりをしっかり意識するということと、部落と部落の地域にこだわるというもう一つの側面、両方大切にしながら双方向でのとりくみがなければならない。外とのつながりを真剣に追及すると同時に、部落問題に、地域にこだわるという解放運動の姿勢、これをしっかりと結びつけるという知恵というものが必要なのではないかという思いがしています。
「提言」について、あまり地域のことを知らんのとちがうか?あるいは、今まで物を言わなかったのに、ここぞとばかりに言うてるきらいもあるんとちがうか?そういう側面がなきにしもあらずと思いますけれども、部落解放運動を外から見た率直な意見が出されている。だからこそ中央本部は「提言」を真正面から受け止める。その中で社会的な責任と主体的な判断において取り入れるべきところは取り入れて、運動の中に生かしていく。そういう方向を示してきた。それがこの大会で具体的なとりくみの一歩として提起しているという自負を持っていますので、そのような観点から考えていただいたらありがたい。
一連の「不祥事」を分析したら、問題の背景が、全国の組織の中に、大きい芽・小さい芽というちがいはあるかもわからないがある。そこを自らの責任で切開しながら、自分で解決の方向を見出していこくために「提言」も活用したらいい。それが本部の考え方です。
狭山の問題で、できること・思いつくこと、いいと思うことはどんどんやっていこう、これは言う通りです。狭山をどうやって勝つのか?この数年間、さまざまな工夫も凝らしてきています。ただ、全国的な組織として統一的にやることと、個々の思いをもってやることと、若干の温度差があるかもしれません。本部の事務局にもとりくみを集中しながら、全国的なとりくみの一環としていろいろなやり方をしていけたらと思います。