1週間ぶりの更新だ。
この間、30日は解放同盟府連のオルグ団を迎えて「飛鳥会事件」について意見交換会、31日には狭山「豊中市民アピール・デー」で、デモと学習会、2日には解放同盟豊中市協議会と豊中市との対市交渉をひかえて、市長との懇談会と、大きなとりくみが続いた。
「飛鳥会事件」をうけた私たち(豊中支部運営委員)とオルグ団との会議は、双方が思うところを率直に出し合えたという意味ではよかったが、納得や合意にまでは至らず、その意味では課題が残ったように思う。「事件」の捉え方や対応をめぐる微妙なズレは、やはり部落差別の現実認識やそれへの処方箋、運動論の違いが背景にあるような気がした。
狭山第三次再審をめぐる動きが、全国津津浦々で始まっている。豊中でもという想いをこめて、「10.31」は東京をパスし、5月に続いてデモと学習会を行った。特に、久しぶりに藤田弁護士を招き、話を聞くことができた。病から癒えて、この日が狭山を語る最初の日だった。自らの弁護士生活を振り返り、今、狭山が最後のテーマとなっていると述べられたが、言葉の端々から飽くなき執念を感じ取った。狭山の勝利はこの人あればこそと改めて思い、聞いておかなkればならいことがもっとあると痛感した。
「同和」行政をすすめてきた自治体にとって「飛鳥会事件」は自らの問題であり、足元の点検・見直しは不可避となっている。市長との懇談会は分岐もなく、無事に終わった。豊中では53年前に市同和事業促進協議会が作られ、ガラス張りの「同和」行政をすすめてきた歴史がある。そして、この間も前例踏襲ではない、部落問題解決にむけた言葉の真の意味でのパートナーシップの構築のためにお互いに汗してきた。だから、「事件」に動じないことはある意味で当然とも言える。だから、この機に乗じてためにする勢力がうごめくのは嘆かわしい。
最後にもう一つ。
前号で紹介した一文の「なかに、「部落問題について語ったり、とりくんだりすることを『ムラ』の専売特許にせず、だれもが出入り自由な空間をつくり、実践を促すことが必要です」とのくだりがあるが、この間何度かふれてきた第五中学校でのとりくみが、まさにそれだとわたしは思ってる。
部落差別の現実を前にして揺れる子どもや保護者のおそれやおののき、不安を受けとめ、それを教育の課題として捉え直し、集団づくりや進路保障のとりくみとつなげていくという、いわば新しい部落問題学習とでもいうべきものが生まれてきている。「夢バトン~はみごのないまちづくり~」というスローガンで人権総合学習を地域連携として、「往き来可能で、響き合う関係づくり」としてとりくんでいる。それは当該の学年を超え、五中にとどまらず、校区に地域に広がる可能性を持ち、地殻変動を予感させる。乞う、ご期待。