交通事故で入院中、同じくベッドで療養を続ける一雄さんを想像しながら、2月22日の日記にこう書いた。
1月に交通事故で左足をタイヤに踏まれ、骨折と挫創。通院していたが、甲の一部が壊死していることが判明し入院。病院は上げ膳据え膳で、看護・治療も万全でリハビリもでき、肉体的にも精神的にも生き返った。ベッドではいろんなことが去来するが、中でも気がかりは、第3次再審が最終局面にある「狭山事件」だ。支援運動に関わって50年余り、肝心な時に動けず慙愧にたえない。一雄さんは、昨年末に肺炎で危ぶまれる状況になったが、「何としても生きぬく」という一念で乗り越えつつある。これまでは「百まで生きて無罪を」と言っていたが、「生きて再審開始を」になった。
ベッドは別だが見る夢は同じ、異床同夢だ。第一関門の鑑定人尋問を何としても実現したい。
しかし、事態は急変!3月12日の朝、一雄さんの訃報が飛び込んできた。だが、籠の鳥の私はどうすることもできない。歯がゆさを抱え、悶々とする時間を過ごす。こんな一大事のときに、こんなありさまとは、自分を恨むしかない。そして、3月12日にはこう書いた。
11日、石川一雄さん(86歳)が急死。よき日を迎えることなく憤死した無念はいかばかりか。第3次再審が大詰めを迎え、鑑定人尋問の成否が間近で、今度こそと期待していただけに悔しくてならない。
第3次再審は19年。担当裁判長は判断を先送りし、検察は審理を引き延ばしてきた。そうすれば、石川さんがいなくなる日が近づくと考えたとしても不思議ではない。10人目の家令和則裁判長には、先例を踏襲せず、真っ当な判断を求めたい。
道半ばで帰らぬ人となってしまった石川さん。いや、警察・検察・裁判所によって殺されたのだ。再審無罪を何としても実現しなければと強く思う。
その後、第3次再審は申立人の一雄さんが亡くなったことによって打ち切り(終了)となり、妻の早智子さんが第4次を申し立てることになることが判明。19年もの時間を費やし、あと一歩のところまで来ていたのに、何たる仕打ち、不条理極まる。新証拠などは引き継がれるようだが、申立はいつになるのか、東京高裁のどの部が担当し、裁判長は誰になるのか、「審理」はどのように行われるのか?仮に、新しい裁判長になれば、それなりの時間が必要になるだろうから、すぐにどうのこのとはならないだろう。などなど、気がかりなことは尽きない。こうした点について、弁護団は早急に考えや方針を示してほしい。
今夜、狭山市内で一雄さんのお通夜があり、明日は告別式が行われるが、私は身動きできない。こういう巡りあわせになるとは、本当に何とも言いようもない。というより、情けないし、我が身を呪いたくなる。しかし、いかんともし難い。堪えて、「次」に備えること、これが私の仕事だと言い聞かせる。
●石川一雄さんの追悼集会
4月16日(水)13時~、日本教育会館(東京都千代田区一ツ橋2)
浮かぶ顔 蘇る声 走馬灯 永久の別れ 心は狭山
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-30627189"
hx-vals='{"url":"https:\/\/burakusabe.exblog.jp\/30627189\/","__csrf_value":"71e554b8208607190cde061c49fd6857c1990660ce70726d7198c0a15b7d427b5ded3431d061e0fa5b12a3b4d078ddfe40d08d2be8a534f06c19f97f02e75b99"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">