豊中市長 長内 繁樹 さま
豊中教育長 岩元 義継 さま
相次ぐ部落差別事件の解決と部落解放行政推進を求める
要求書
2023年10月18日
部落解放同盟豊中市協議会
議長 佐佐木 寛治
Ⅰ.基本認識・基本姿勢について
長内市長が1期目の当選をした年の2018年11月7日に、両支部の役員と意見交換をしたときに、こんなやりとりを交わした。
同盟 部落差別の現状認識、部落差別をどうとらえるのか?
市長 部落差別に関して一言でいうと、人間が作り出した差別、合理的な理由がない差別だと思います。こういった不合理・不条理な差別は、歴史的な経過もあるけど、完全になくなることをめざしていかなあかん。人間が作り出した差別や偏見、これをなくすのが、私が今回、市長選挙に出させてもらった原点、基本の基本にありますので、その視点でこれからも取り組ませてもらう、取り組むべきだと思います。
同盟 「協働とパートナーシップ」については、この間、信頼関係を損なうようなことを市自らがしてきた。本気で市が、私たち解放同盟と協会をパートナーとしてやっていくのであれば、「信義誠実の原則」を踏まえてやってほしい。これにもとるようなことを、しないでほしい。
市長 信義誠実、それは当然のことと思っています。私が市長でいる間は、その言葉に違うようなことはしません。ただ、言ってはるように、言葉が違うから心が入れ替わったと思われることは心外です。そうじゃないです。例えば、言葉が載っていないことが一番あかんって言うと思うんですけども、心を入れ替えたとか、人格が変わったとか、そういうことではないです。
ただ今日的なニーズ、人権の関係で言うたら、市に求められる課題というと、同和をはじめとして高齢・障害・発達支援・LGBT・貧困・一人親、そういったところまで広がってる。だから、抜いたらええんやという議論ではないですけど、心は失ってませんから、もし信義誠実でないって言われたら、すごく心外です。
市長 さまざまなご意見いただきましたけれども、やっぱり心の内はわかれへんというのはようわかります。ただ、やっぱり施策というか、これから反映していくところと、守らなあかん部分は守らなあかん。それは自分自身でしっかりと峻別していきたい。豊中では同和課題というケーススタディがありますから、それをよりどころにして、人権啓発・人権教育を発展させていくということを改めて考えていきたいと思っています。
私たちはきちんと話ができて、共通認識もできたと思ったが、長内市長は、「(解放同盟に)詰められた」として、以後は対応しないと言い出し、以後5年間、市長は会うことを拒否し続けている。どこで、どう「詰められた」と言ってるのか、心当たりもないし、記録を読み返してもわからない。
しかし、長内市長からは「説明」もなく、一方的に扉を閉ざし、時間だけが過ぎ、今日に至っている。そして、この間に、「同和行政終結」への手立てが強行され、それに伴って部落差別事件が続発するという事態が起こった。
当事者団体との信頼関係を壊し、その声を聞かずに、独断で物事を進めるのは、市長の言う「信義誠実の原則」に反している。真の「信義誠実の原則」に基づく「同和行政」を進めていくべきだ。
【要求事項】
(1)部落差別の現状認識を明らかにされたい。
(2)「部落差別解消推進法」、市「同和問題解決推進協議会」答申および「同和行政基本方針」を遵守・尊重し、部落問題解決のための具体的な方策を示されたい。
(3)市長は、4年前の発言(上記)について、現在も堅持されるのかどうか、明らかにするとともに、「信義誠実」の原則に立ち返り、私たちとの対話を再開されたい。
Ⅱ.相次ぐ部落差別事件について
まず、『解放新聞』大阪版の連載記事を確認されたい(P11~12)。
各事件の連関性はなく、それぞれの特徴を持っているが、共通するのは、いずれも公務員(市職員・教員)が関わっていることで、このことだけでも“ビックリ仰天”で、非常事態と言えよう。問題は、そうした危機感を持って事態に臨んだのかどうかだ。また、事件を振り返ると、「タラ・レバ」ということを思う。もちろん、それによって過去を変えることはできないが、あの時、なぜああしたのか?こうしていれば、こうなったのではないか?と見えてくることがある。つまり、なぜ間違いを犯したのかを明らかにすることができるはずだ。こうした点も含め、「総括」的に事件を振り返ってみる。
1.総合計画審議会市民委員の部落差別発言事件
(1)なぜ「初期対応」ができなかったのか?
その場で発言を聞き、別の委員から「部落差別にあたります」との指摘があり、さらには、「人権政策課に報告を!」との要請もされながら、事務局である経営計画課は無対応に終始した。おおよそ考えられないことだが、ここまで感度が鈍っていたことが、その後の事態を「混迷」に陥らせた主因と言わねばならない。
(2)なぜ、チャンスを生かせなかったのか?
初期対応ができなかったことを取り戻すことはできないが、汚名挽回のチャンスはあった。事件から2か月後に開催された審議会がその場だった。ここできちんと事実確認の作業をし、発言者と向き合っていたなら、また、審議会としての対応を決めていたなら、事件は「解決」に向かっていた可能性が高かったと思う。
(3)人なぜ権政策課は、動かなかったのか?
しかし、この肝心な場もスルー同然の対応で逃してしまった。要するに、この時点においても、事件の意味を理解していなかったのだと思う。いや、終わったこととして考えていたのだろう。そして、この場面においては、人権政策課が関与し、場をコントロールすべきだったが、事務局任せにし、登場の機会を逸し、後手後手の対応しかできなくなったことも痛恨事として忘れてはならない。
(4)誰が「差別と判断できない」と言ったのか?
本件での最大の問題は、発言が部落差別にあたるのかどうかということで、この点で市と私たちとは180度食い違っている。その場で発言を聞いた市職員、複数の委員が「差別性あり!」と言い、発言者も「士農工商の部落」だと言っている。ところが、市は「発言者の真意を聞かないと判断できない」と言い張り、発言者とのコンタクトを追求してきたが、実現しないまま放置している。被差別当事者をどこまで傷付けたら気が済むのか?
(5)差別かどうかの判断基準は何か?
発言に差別性があるのかどうかは、その発言が部落差別を助長したり、マイナス・イメージを広げるものかどうかという、客観的な物差しで判断すべきで、発言者の「真意」や「気持ち」「思い」といった主観的なもので左右されるべきものではない。「そんなつもりで言ったのではない」というのは、差別発言をした人が言い逃れをするための決め台詞だが、市はそんな一言を待っているように思う。差別発言があったことは消えない事実だし、なかったことにもできない。
(6)最大の問題は市の姿勢
発言の差別性については、すでに決着がついており、焦点は、一連の市の対応の是非にある。市がやるべきことは、なぜここまで「迷走」するに至ったのかを解明し、非は非として認め、教訓を引き出し、それを活かすことだ。
【要求事項】
①上記の指摘についての見解を示されたい。
②事件後、関係部局(総合計画審議会、経営戦略課、都市経営部)が行った取り組みを明らかにし、課題・問題点をふまえた今後の対応策を示されたい。
③事件の「総括」「収束」に向けた方針を明らかにされたい。
2.職員の部落問題に関わる会話
(1)事件が映し出すものは何か?
二人の職員間での部落問題に関わる差別的な会話については、一方の職員が「告発」したことから発覚した。どちらが何を言ったのかは確定できなかったが、軽口にしろ、意図的にせよ、市職員がそのような差別的なやりとりをしていたことは事実であり、看過できない。どちらかがたしなめることがあっていいはずだが、そうならなかったところに病巣の深さがある。
(2)差別的な会話を是認する空気
会話の内容は、市職員ならではのものが含まれているが、「市民意識調査」の結果を想起させる。断定はできないが、こうした会話は他の職場でも交わされているのではないかとも思われる。その意味では、市職員の部落問題についての認識や理解のありようが問われる事件だ。悪意や差別的な意思に基づくものではなく、軽い気持ちでなされるものだけに始末が難しいとも言える。弛緩した空気の中で緊張感なく、戯言のように吐き出されるのだ。だからといって、誰もがそうしたことを言うわけではない。言うに至るのは、その人固有の事情があるからで、それを誘発したり、そういう気分にする状況も関わっているのだろう。
こうした点について、掘り下げて、一定の分析をし、対応策を講じないと、モグラはすぐに出てくる。
【要求事項】
①その後の経過、状況について報告すべきことがあれば、示されたい。
②事件の教訓を明らかにされたい。
3.Hこども園職員の部落差別発言事件
事件から2年になり、「収束」に向けて動くべきだと考えるが、市の方からの提案はなく、宙ぶらりんのままになっている。改めて経過をふまえ、問題点・課題を確認したい。
(1)ボタンの掛け違えに気づかない園
この事件は、ある意味、典型的とも言えるが、「総計審事件」と同様、園が初期対応で致命的な過ちを犯し、それが事実確認や真相解明、対応策など、その後の取り組みを困難にしてしまった。部落差別事件に遭遇し、衝撃を受けてパニック状態になることはやむを得ないことだが、そうした中で「園で起きたことだから、園で取り組もう」などと、なぜ考えるのかと思う。部落問題に一定、精通し、差別事件への対応の経験があるわけでもないのに。一にも二にもまずは「こども事業課」や「人権政策課」に報告するべきだろう。これを16日間も怠ったことが、つまずきの始まりで、その後も園は迷走を続けた。
(2)こども事業課と人権政策課も初動を誤る
園の初期対応での過ちに加え、こども事業課と人権政策課の初動の過ちも指摘しておかねばならない。16日後に園から報告を聞いた時点で、「適切」な指示・対応をしていれば、事件は解決に向かって進んでいたはずだ。しかし、両課とも無為無策に終始し、「総計審事件」と同じ轍を踏んだ。この点、深刻な「総括」が求められる。
(3)基本的なことがなされず、過ちが重ねられた
園は、聞き取りの記録もせず、その報告書も作らず、一方的に当事者間の「謝罪の場」を設定し、一度限りの人権研修を打ち、事を収め、発言者を放免した。自分たちの力を過信したわけではないだろうが、これらを誰にも、どこにも相談することなく、やってのけるその「強さ」は一体、どこからくるのかと思う。自分たちがやろうとしていること、やっていることに不安や心配はなかったのか?事は、部落差別事件であり、それに向き合うことの意味を理解していたのか?
(4)部落差別事件の「肝」が置き去りに
園がやったことから判断すれば、形をつくっただけで、その内実は空っぽといってよく、残酷な言い方をすると、下手なことをしたことによって、肝心なことができなくなってしまったと言わざるを得ない。肝心なことというのは、発言者が自身の発言の差別性を理解し、発言をするにいたった事情を詳らかに語り、自身の部落問題観を振り返り、そうした作業を通じて、新しい気づきや認識を獲得することだ。
(5)発言を受けた側へのアプローチ
強い言葉で言われてショックを受けた職員についていえば、居住地が同和地区だと言われてどう受け止め、何を考えたのか?親の発言をどのように聞き、理解したのか?ショックの内実を確認し、自身と部落問題との関係性を解きほぐす、その作業を共にすることが必要だ。
園は彼女に「寄り添う」ことを最優先したと言うが、そもそも「寄り添う」とはどういうことで、この場合は何をすべきだったのか?相手の精神的・身体的状況をリアルタイムできちんと把握し、いつでも必要なサポート・手立てを提供できる体制・条件を整えること、これが不可欠だ。果たして、園はそのような問題意識を持って、対応し、備えたのか?本人の意向を聞くこともなく、発言者と会う場を設定したことが示すように、「寄り添う」こととは真逆のことをしている。
(6)事態の深刻さと病巣の深さをどこまで認識しているのか?
市の「報告書」を精査し、園を含む関係者から聞き取りを行い、一体何があり、どんなことがなされたのかを確認する作業を通じて、判明したことは、差別事件への対応としては、お粗末すぎるということだ。もちろん、これは園のみの責任ではなく、こども事業課と人権政策課、ひいては市の責任だ。誤った対応が積み重ねられ、どんどん、のっぴきならない事態になっていってるのに、誰も・どこも、気がつかないのか、気がついても指摘しないのか、どちらかはわからないが、いずれにせよ、深刻な問題をはらんでいることは間違いない。果たして市は、自己切開して、病巣を取り除くことはできるのか?
【要求事項】
①上記の指摘についての見解を示されたい。
②事件後、関係部局(Hこども園、こども事業課、こども未来部)が行った取り組みを明らかにし、課題・問題点をふまえた今後の対応策を示されたい。
③事件の「総括」「収束」に向けた方針を明らかにされたい。
4.市立中学校教員の部落差別発言事件
市長部局で起きた3件の部落差別事件の「教訓」はいくつかあるが、その一つは、トップが事件をどう受け止めているかということだ。私たちは事件発覚後、人権政策課から事件の内容・状況等について報告を受け、事件が起きた担当課も交えて、協議をしながら取り組みをする。しかし、私たちと人権政策課・担当課の問題意識に食い違いが生じ、事態が混乱する。その原因を断定することは難しいが、その一因はトップの問題意識にあることは間違いない。つまり、市長が部落差別事件をどのように認識し、受け止めているのかということだ。
具体的に言えば、「これは一大事だ。そのままにしてはおけない」と、とらえるのではなく、「大した問題じゃない、事務的に処理すればいい」と、考えている節がある。そして、人権政策課や事件を起こした部局は、市長に「忖度」して、後ろ向きな対応をとる。結果、事件解決への道はどんどん細くなり、袋小路に追い込まれていく。
そこで、今回の事件ではそうならないように、早くからトップである岩元教育長との面談を要請し、事件から2か月余り経過した3月30日にやっと実現した。時間が30分と切られていたこともあり、意思疎通を図り、共通認識を得ることはできなかった。が、ここでのやりとりに私たちと教育委員会との認識や思い、感覚の違いが見事に表れている。概要は以下のとおりだ。
(1)「改めてお詫びを申しあげたい」
教育長は、冒頭でこう言ったが、お詫びは「改めて」ではなく「初めて」のことだ。本来であれば、教育長自身が私たちの方に出向き、事件後すぐに「お詫び」をすべきだ。
(2)「重大な人権侵害事象である」「責任は逃れられない」
問題はその中身だ。指摘できなかった職員の問題はあるにしても、教育委員会としての責任とは何で、それをどう果たすのかをはっきりすべきだろう。そのためには事件がなぜ起きたのかを明らかにすることが必要だが、その問題意識がない。
(3)「決して軽くは見ていない」
通りいっぺんの言葉で済ますのではなく、それこそ「言葉を尽くす」ことが必要だし、言ってることが本物かどうかは、最終的にはその本人のふるまいによって判断されることになる。しかし、岩元教育長の言葉はとても軽く、気持ちも伝わってこない。
(4)「お詫びの文書は必要ない」
ここに岩元教育長の事件に対する受け止めが表れている。教育長が自ら設定した場面ではなく、事件から2か月余り後の3月30日に、私たちが要請して実現した場を借りて発した「お詫び」で事は済んだと考えている。あまりに軽いと言わざるを得ない。教育行政のトップにあり、差別事件の最終的な責任者でもある者がとるべき言動ではないだろう。言葉で詫びたから、文書は必要ないと拒否する頑なさは一体何なのか!必要か必要でないかは、部落差別発言事件の一方の当事者である私たちが決めることであって、教育長が決めるものではない。こんな当たり前のことが理解できないとしたら、教育長には人権を語る資格はない。
(5)「発言者の異動はやむをえない」
「その学校に残ったほうがいいだろうなあということは感じました」とも言いながら、「当該教員が異動対象になるということはやむを得ない」として、異動を認めた。つまり、部落差別事件と人事を秤にかけた結果、人事を優先し、部落差別事件を軽んじたのだ。理屈と膏薬はどこにでもつくと言うように、言い訳はいくらでもできる。教育長は人事権を持っており、逆の決定をすることもできたのに、批判を承知の上で、やってはならないことをあえてしたのには理由がある。すなわち、発言者を異動させて、取り組みを困難にし、差別事件の幕引きをしようとしたのだ。こういうことを平然とやってのける人物に人権や教育を語ることはできるのか?
(6)「本人任せでなく、勤務先の学校や教育委員会も連携をし、支援していく」
言葉だけを聞くと、「ああ、わかってくれているんだな」と思ってしまうが、ストンと納得できず、モヤモヤ感が残る。これは何かと突きつめると、「言葉が軽い」んだとわかる。字面は整っているが、聞く側に響いてこない。内容がないのだ。「校長に引き継ぐ、教育委員会として対応していく」と言うが、そんなことは当たり前のことで、問題は具体的な方策だ。
(7)「解放同盟と発言者との対面は必要と思わない」
発言者が自分の過ちを悔い、反省をするのであれば、自分の発言によって傷つき、心を痛める人たちがいることに想いが及ばないはずがなく、自ら進んで「直接、謝罪したい」と思うはずだ。それが人間として当然のあり方だろう。しかし、岩元教育長はそんなことは必要ない、そのための努力もしないと言い切る。なんでこんなに頑なに拒むのか?発言者が自己変革の過程で、そうした気持ちになり、私たちと直接会って、話をすることは発言者にとってもいいことで、意味のあることだとは考えないのか?市教委や学校の対応・取り組みだけで十分だと思っているなら、それこそ大間違いだ。そもそも、それが十分でなかったから事件が起きたのだ。それを忘れて、自分たちだけでというのは、盗人猛々しい(悪事をした人が平然とふるまうこと)と言わざるを得ない。
現職の教員が「えたひにん」という差別発言をするなど、想像を超えた世界と言っていい。しかも、発言者は相応の教職歴があり、市の初任者研修や二年次研修で部落問題研修も受けており、そんな人が「なぜ?」との疑問も起こる。また、今回は市長部局ではなく、教育委員会だが、前例に学んで、まともな対応ができるはずだと思ったが、最初の「報告書」を見て、その期待は見事に外れた。おおよそのことしか書かれておらず、原因や背景の分析もなく、何よりも教育委員会は他人事のように受け止めていたからだ。そして、それに輪をかけ、決定的にしたのは、岩元教育長と会った際のやりとり(上記)だった。
その後、人権教育係と協議を重ね、私たちの意見を伝える中、事実確認をやり直すことになり、その作業が一段落しつつある。そうした経緯をふまえ、下記事項を要求する。
【要求事項】
①この間の経緯等をふまえ、改めて、教育委員会として事件に対する見解を明らかにされたい。
②事件の原因、背景についての考察を明らかにされたい。
③事件関係者(発言者、前任校、現任校)の取り組みを明らかにされたい。
④教育委員会としてのこれまでの取り組み、指示等について明らかにされたい。
⑤事件の責任を負うべきは、第一に発言者であることは言うまでもないが、発言者を生み出した教育委員会の責任も免れず、ひいては、私たちを含む社会もその責めを負うべきだと考えるが、見解を示されたい。
⑥教育委員会会議では、いつ・どのような報告がなされ、どんな意見があったのか、経過と内容を明らかにされたい。
5.収束について
これまで部落差別事件については、市と私たちとが協力・共同して解決にあたってきたが、昨今、この原則を市が遵守しなくなり、当事者からの事実確認は必須のことなのに、これをことごとく拒否している。曰く、「市として組織的にやります。聞きたいことがあればお伝えください」と。しかしながら、市と市教委のとりくみや作業は、言うのもはばかれるほど、杜撰で的外れでした。問題は、担当者にノウハウや実務経験がなく、初期対応として為すべきことは何かをすら知らないままに対応していることだ。だから、私たちは初歩的なことから指摘をしなければならなくなり、市や市教委は、渋々動くといったことにならざるを得なくなる。それなら、偉そうに言わずに、「共同で!」と言えば、もっとスムーズに事は運ぶはずだ。メンツにこだわっているのか、私たちを遠ざけたいの、わからないが、とにかく、やる気が感じられず、結果、差別事件は「放置」状態になる。
部落差別事件が相次ぐ事態は、非常事態であり、市はその持てる力を総動員して、迅速に対応すべきだ。しかし、危機意識もなく、ある意味、平然と構えているところがある。そこには部落問題を軽視し、殊更には取り扱わないという姿勢が垣間見える。
市とのやり取りの中で、差別事件を「一般事務として・・・」扱うといった発言がなされたが、まさしく、一連の市の対応はそれに沿ったものだ。これは何を意味しているのか?思うに、部落差別事件について、これまでの対応方針を変える、すなわち、私たちとの協力・共同作業をやめて、市が主体となって判断・対応するということなのだろう。私たちの関与する余地をなくすということだ。そのように考えれば、一連の市の振る舞いの説明はつく。だから、差別事件が起こっても、特別な対応はせず、通常の事務処理の範囲内で処理をしてきた。
しかし、差別事件には「刃」が潜んでいるから、いい加減に扱うと、「返り血」を浴びることになる。その覚悟とスキルを持たないまま、徒手空拳で立ち向かえば、相応のしっぺ返しを食らう。因果応報と言えるが、市はこの間、高い授業料を払いつつ、「学習」を積んできたはずだが、全く活かされなかった。
そうであるなら、市の取るべき道は一つしかない。私たちとの連携・協働のもと、「共同の営み」に立ち返ることだ。私たちは、いつでも門戸を開いているから、市にその気があれば、問題解決に向けた協力を惜しむものではない。
【要求事項】
①上記の点について、見解を示されたい。
②人権の危機管理が問われる差別事件では、司令塔である人権部局の役割が極めて大きいのに、一連の事件ではその機能が作動せず、致命的な結果を招いたが、この点についての総括を明らかにされたい。
③部落差別事件が相次ぎ、解決を見ず、4件目の事件が起きていたさ中の2023年4月、市はあろうことか、市長直轄で独立性のある「人権文化政策監」を廃止し、市民協働部に人権政策課を移管し、担当理事を置くという機構改革を断行した。人権部局の機能と体制の強化が急務なのに、真逆のことをするのだから、何をか言わんやと言わざるを得ないが、機構改革後、一連の部落差別事件にどのように取り組んだのか明らかにされたい。
④解決のためには、差別事件を起こした当事者及び関係機関(者)の反省と私たちへの謝罪が不可欠であると考えるが、「総計審事件」では、当事者からの謝罪はないまま、連絡不通になり、市に至っては差別性を否定し、二次加害者となっている。また、Hこども園事件でも同様で、反省と謝罪がないままに、当事者は放免され、関係機関(者)の責任も不問に付されている。さらに、「市立中学校教員事件」では、当事者から反省や謝罪はなく、教育長はことのついでに「お詫び」を発しただけで済ましている。
部落差別は許さないという立場を堅持し、被差別当事者とともに、解決に向けて取り組むという確固たる意思があるのであれば、それに相応しい対応をするはずだが、残念ながら、市長及び教育長のありようや言動からは、そうしたものが伺えない。市長および教育長は、部落差別事件に誠実に向き合い、改めて見解を公表し、警鐘を発せられたい。
⑤独立性のある機関を設置し、一連の部落差別事件を検証されたい。
⑥2023年3月に作成された「豊中市職員のための部落差別事象発生時の対応マ
ニュアル」の職員への研修実績を明らかにされたい。
Ⅲ.その他の要求事項
①部落問題解決に向けた各部の取り組みの現状と課題を明らかにし、市「答申」および「同和行政基本方針」を踏まえた具体策を示されたい。
②ヘイト・スピーチやヘイト・クライムの増大と深刻化、ネット上の差別情報の氾濫など、人権と命が脅かされる事態にあって、「差別禁止法」の制定や独立した「人権救済機関の設置」が急務となっているが、市として対応するとともに、「インターネット・モニタリング」を行われたい。
③豊中に部落問題解決の拠点施設である「解放会館」が開館して50年、その使命を果たすべく、私たちは市と協働・連携してその歴史を刻んできた。2001年には「人権まちづくりセンター」に、2020年には「人権平和センター」に名称変更され、事業の再編等も行われ、当初の機能と役割も変わってきたが、1976年に開館した螢池のセンターを含め、設置目的は今日も変わりはないと考えている。特に、この間の変遷の中で、私たちは以下の4つの原則を確認してきた。
・豊中と蛍池は一体であり、分離・分断しない。(2館1体)
・両センターが持つ「歴史性と地域性」をふまえるとともに、「部落問題の解決」という施設の歴史的使命を設置目的から外さない。(地域性の堅持)
・培ってきた人とのつながりやネットワーク、地域資源を有効活用し、両地区の特性を活かした取り組みを断絶させない。(継続性の確保)
・両センターの存在は、「差別はあかん」という「抑止力」となっており、何物にも代えがたいものであり、その力を削がない。(抑止力の維持)
これは両センターの存在意義に関わるもので、今後も尊重・継承されるべきものと考えているが、市の見解を明らかにされたい。
また、センター事業の委託期間がネックとなって、両センターの使命である部落問題解決の道筋や事業の中長期的展望を描くことが難しくなっているが、市とし
ての見解と具体的な対応策を示されたい。
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