
●5月6日(金)
「祈念館」を出て、ウトロ地区をと、自衛隊の駐屯地との間の道路を歩き出す。

右手には新しい5階建ての住宅が見える。これが、財団が宇治市に土地を提供し、市が建設した市営住宅のようだ。

ほどなく、道が右に折れると、風景が変わる。

廃屋や「祈念館」のパネルにあった建物だ。

そして、左側を見ると、屋根が突き抜けている家が・・・。
ああ、焼け落ちたんだとわかる。

回り込むと「放火」現場があった。黒焦げになった柱が立ち残り、燃えたものが散乱している。
煙こそ出ていないが、生生しさに息を呑む。

いつかはこういうことが起きるのではと、地元の人は危惧してもいたという。
「祈念館」に収蔵・展示されるはずの貴重な歴史を伝える資料も焼けたという。
人々の心に与えた傷の深さは測り知れない。

逮捕された「犯人」(22歳)は、「朝鮮人が嫌い」との供述をしているという。
今や、ヘイトスピーチはありふれた光景になってしまっている。
しかし、ヘイトクライムとなると、別次元だし、「放火」は重罪だ。
ここまで人を駆り立てるものは何だろう?
片や、ウトロの歴史とそこにくらす人たちを知り、心を寄せ、つながる人もいる。
「祈念館」で聞いたところによると、強制移転の危機に晒された住民たちは裁判を闘ったが、裁判所は住民の訴えを退けた。
しかし、屈することなく、住民と支援者による新しい闘いがはじまり、韓国政府の支援も得て、土地の買い取りを実現した。
この過程で、土地の所有権が日産車体から、西日本殖産に移っている。
あの日産が関与していたわけだが、ウトロ問題では知らぬ顔を決め込んだという。
そういう体質の企業なのだ。

責任を感じて、相応の貢献をすれば、企業イメージも高まるはず。
しかし、そうした発想はなかったようだ。
伊丹の「中村地区」との関係性も聞いてみた。
「中村」は国有地で、公的資金が投入されたが、ウトロはそうではない。
だから、資金を集めて、土地を買うしかなかった。
同じような歴史を背負いながら、土地が誰のものであるのかが、大きな違いを生む。
私的所有の本質と言えようか。

無残な焼け跡を見ながら、人間の怖さ・不可思議さを思う。
そして、私はどこに立ち、何をするのか、自問する。