水平社100周年ということで、久方ぶりにメディアが部落問題を取り上げた。
部落差別がどのように存在し、人々はどのように向き合っているのか?
苦脳や葛藤を越え、覚悟や勇気を持って立ち上がる人の姿が映えた。
かくして、101年目の部落解放運動は始まった。
だが、記さねばならないことが一つある。
狭山事件に、どこも・誰も触れなかったことだ。
部落差別に基づく冤罪事件であり、典型的な部落差別事件である。
石川一雄が、59年間、無実を叫び続けている。
死刑判決や無期懲役判決をくらい、32年間もの獄中生活を強いられた。
二度に渡る再審請求は、門前払い同様に退けられた。
第3次再審は、今、最終段階にある。
そんなときに迎えた100周年。
狭山事件は、警察・検察・裁判所が一体化した権力犯罪。
しかし、それを可能にしたのは誰か?
マスコミであり、地域社会に暮らす住民であり、私たちだ。
「部落民ならやりかねない」との予断が人々を駆り立てた。
誰もがその罪から逃れることはできない。
そこに触れられれば、顔をしかめるか、知らぬ素振りで行き過ぎる。
そう、誰もが思い当たる節がある。
だが、100年の大きな波があっても、狭山は波間に顔さえ出ない。
誰かがどこかで意図したのか、偶然に同じ歩調になったのか?
見事な横一線に見るものは、冤罪・狭山事件を貫く部落差別の非情さだ。
奇しくも石川一雄は、この日のアピールで59年前のマスコミの過ちを撃った。
「(刑務所から)出たら復讐しようと思っていた」と。
既に当事者は誰もいなかったが、それを聞いた者は考えるであろう。
いや、「そんな昔のことは知らない、関係ない」と言うかもしれない。
だが、罪はまだ許されてはいない。
石川一雄が、晴れて無罪になるその日が来るまで。
100年の歴史に埋め込まれた59年の意味は重たい。