四ツ谷巌との因縁
第2審「公判調書」をめくっていて気が付いたことが・・・。
「四ツ谷巌」という裁判官の名前があるではないか!
忘れるはずがない。
1977年8月30日に東京高裁に申し立てた第1次再審を担当した第4刑事部の裁判長で、1980年2月7日に棄却決定をしたのだ。
改めて、調書を繰ってみたら、第20回公判(1966年9月20日)~第35回公判(1969年4月3日)まで担当裁判官の一人として審理に加わっている。
このときに、狭山事件に対する「心証」をもったはずで、それが10年後に露わになったのかもしれない。こんな巡り合わせがあったとは!?
なお、彼はその後、東京高裁長官を経て最高裁判事になっている。