雨模様の26日、シネピピアに。
12時半の部だったが、ロビーには多くの人。
特に高齢の女性が多かった。
受付にいくと、席は9割がた埋まり、上映時には満席(50%)になった。
タイトルからして怪しいが、観るポイントは「白洲次郎」つながり。
演じたのは浅野忠信だったが、ちとイメージとズレている。
白洲の真骨頂である「ダンディズム」が感じられない。
映画の主題は、新憲法制定をめぐる占領軍(マッカーサー)と日本政府のバトル。
絶大な権力を持つマッカーサーに押し切られる様が克明に描かれる。
これを観ると、「押しつけ憲法」であったと頷かされるだろう。
白洲は、双方の連絡要員(ミルクマン)として働くが、さしたる仕事をしたようには描かれていない。
ケンブリッジ仕込みの英語が堪能であることはわかるが、それ以上でも以下でもない。
シンプルだが、こういう切り口で見せられると、「やっぱり、そうだったんだ」と思う向きもあるだろう。
日本側は、天皇制護持と独立、アメリカは軍国主義解体と共産主義からの防衛、両者の落としどころが「新憲法」なのだろう。
しかし、独立すれば「改憲」という吉田茂の目論見は、今もって実現されていない。
そう、「新憲法」は日本に根を下ろし、人々は受け入れ、血肉化している。
天皇条項と戦争放棄とが対になっていることも含めてだ。
だから、本作は一種の恨み節に過ぎないのかもしれない。