●「読売新聞」5月12日(朝刊)より
万葉集に大伴旅人、中西進にスポットが当たっているが、大伴旅人については「歌人」としてしか取り上げられていない。そもそも「大伴」一族は、朝廷の「部門」を司る職掌を担っていた。
旅人で有名なのは、 720(養老4)年におきた「隼人の乱」鎮圧の征隼人持節大将軍に任命されたことだ。
いわゆる「梅花の宴」が行われた頃は、「政争」のあおりで大宰府に左遷されたという説もある。
「万葉集」編纂に関わった歌人として有名な大伴家持は、旅人の子であるが、家持も784(延暦3)年に持節征東将軍として「蝦夷」侵略に赴いている。
彼らがどんな歌を詠んだのかも大事だろうが、何を使命とし、何をしたのかをこそ知るべきではあるまいか?