あろうことか本日(11日)、東京高裁(第8刑事部・大島隆明裁判長)は袴田事件の再審開始決定を取り消すという暴挙をおこなった。多くの人々が注視し、検察の理不尽な即時抗告は棄却されるはずと、待ち望んでいたこの日だった。しかし、東京高裁は「再審開始の根拠となったDNA鑑定には疑問がある」として、再審開始決定を取り消す決定をした。当初の予定では、3月末に出されるところが、今日まで延期されてきた。この間に何があったのかは知る由もないが、よろしくないことがあったことだけは間違いないだろう。
仮に、ここで「棄却決定」を出せば、その影響は甚大で、他の冤罪事件に波及することは避けられないというのは、誰が見てもわかることだ。それを勘案して、相手側に立てば、結論は自明ということになる。もちろん、100パーセント思いのままになるかどうかは別問題で、様々な要素が関係してくる。しかし、裁判官が誤判・冤罪を認めることは自らの首を絞めることと同じで、そんなことをあえてする者はまずはいない。だから、普通に考えれば、確定判決を維持するのが圧倒的になる。今回は、静岡地裁が再審開始決定をし、これを東京高裁が覆した。
本来は、再審の法廷で決着をつければいいと思うが、現行の裁判制度では延々と手続きが続く。下駄は最高裁に預けられ、さらに「審理」が行われるが、すぐには判断は出されないだろうし、差し戻しといったこともあるかもしれない。
世論を敵に回しても、こうした判断をするところが権力の権力たるゆえんでもあるだろう。その意味では、淡い期待や勝てるなどといった楽観は禁物だということを肝に銘じなければならない。これで、「次は狭山」の意味は全く違ったものになった。今、この暴挙を前にして、改めてそう思う。
●「読売新聞」6月11日(夕刊)より