12月にヒロシマに行ってきました。昨年はキューバ革命を指導したチェ・ゲバラが1967年に39歳で亡くなって50年ということで、夏に東京で見た「写真家チェ・ゲバラが見た世界」に刺激されたからです。
1959年の革命の成功から半年後の7月、
31歳のゲバラは使節団の団長として日本を訪れ、工場や企業を視察したり、要人と会談をこなしました。しかし、ゲバラの胸にあったのは広島訪問でした。日本政府に申し入れましたが、反対されて実現しないとみるや、日程を変更してひそかに向かいました。
平和公園で献花し、資料館をじっくり見学し、原爆病院を見、被爆者を抱きしめ、「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」との問いを残しました。
広島は復興が進んでいましたが、原爆による被害と惨劇を心に深く刻み込み、帰国したゲバラは、「あなたたちも見てくるべきだ」と語りました。その後のキューバでは学校教育の中で原爆について教えられ、今でも多くの国民が8月6日と9日が「原爆の日」だと知っていると言います。
無残な傷跡を晒しながら静かに建つ原爆ドームは物を言いませんが、圧倒的な存在感があり、衝撃を与え、見る者を釘付けにします。ドームから少し離れたところの爆心地(島内科医院)の説明板には「上空600メートルで炸裂し、3000~4000度の熱線爆風、放射線が瞬時に命を奪った」と書かれ、公園内の「韓国人慰霊碑」には、「20万人の犠牲者のうち2万人が韓国人」と書かれています。平和公園の献花台から見ると、慰霊碑とドームが一直線になっていますが、ゲバラが撮った写真が残っています。資料館には写真、遺品、パネル、映像を使って、原爆の被害と反核と平和をアピールする展示が工夫されていました。
73年目の今年、憲法9条が変えられることが現実のものとなる局面を迎えようとしています。戦争と原爆の惨禍を繰り返さないとの誓いはどうなるのか不安が募ります。しかし、ここに立てば、「これからは広島を、広島の人を愛していこう」と言ったゲバラのように反核平和への思いを新たにするはずです。