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日、世界人権宣言69周年記念豊中集会の第一弾として、「ウリハッキョ」というドキュメンタリー映画の上映会をしました。
この間、朝鮮をめぐる問題は、「国難」とも言われ、今にも戦争が始まるかのように危機感が煽られています。こういう状況にあるからこそ、冷静に日本と朝鮮の問題を考えることはとても大事だし、世界人権宣言の精神に沿うものだと考えて企画をしました。
朝鮮学校の歴史については語る必要がないと思いますが、戦後、GHQや日本政府の閉鎖命令や弾圧に抗して、在日朝鮮人が自力で立ち上げ、守ってきました。映画の舞台になった北海道朝鮮初中高級学校は、母国語や民族文化を教える北海道唯一の学校で、1961年に創立されています。
映画を観て、多くのことを考えさせられたし、いくつかの場面が焼き付いたままで、今も心がざわめいています。
朝鮮学校ってどんなところなのか?どんな子どもたちが学んでいるのか?教員や保護者たちは?といった疑問がスルスルと溶けていく、とてもいい映画です。何よりも、登場する子どもたちの明るさがサイコーです。
しかし、その生徒たちは日本社会にあって、理不尽な差別と向き合わざるをえない現実に置かれています。拉致問題や核実験やミサイルが取り上げられるたびに、学校に脅迫電話がかかるなど、生徒たちの日常は一変します。
朝鮮学校での学びのハイライトは高校3年の祖国・朝鮮への修学旅行です。新潟から万峰景号でかの地を踏み、人々と出会い・交流します。チョゴリを着て、朝鮮語で話し、朝鮮語で歌う、それが自由にできることを満喫し、体感します。当たり前のことなのに、日本ではその自由がないことを改めて知ります。
そんな現実を押し付けているのはほかならぬ私たち日本人であり、日本社会であることを改めて思います。その意味では、差別の構造はとてもシンプルだということができます。シンプルゆえに受け入れられやすいし、しつこいのです。
感想を二つ紹介します。
「ウリハッキョで働く日本人の先生の姿やそこで学ぶ生徒たちの姿を本当に多くの日本人に知ってもらいたいと思いました。」
私もそう思います。日本人にこそ知ってほしいし、知るべきだと思います。
「なによりこうした映画を上映できる豊中の度量の深さに感動した次第です。」
ある意味、豊中だからできたのかもしれません。人権を生身の人間の問題として、自分の問題として向き合うことを大事にする、それが豊中のいいところだと思います。
今月30日には第二弾として、講演会「朝鮮高校無償化裁判を考える」をフリージャーナリストの中村一成さんを招いて行いますので、ぜひご参加ください。