「近未来」とは、現代から近い未来のことだ。本書の物語は「近未来」のことで、「現代」ではないはずだ。しかし、読み進めると、「現代」と相似形であることがわかり、それこそ背筋がぞっとする気分になる。
表向きの表現の自由や言論の自由は整えられてはいるが、それは偽りの自由で、メディアを含む情報は完全に統制され、人々の行動はすべて監視下に置かれ、事実は権力者の意のままに操作・書き換えられる。人々の関心は個人生活の内にとどまり、世の動きへの関心は乏しく、他人のありようにも動じない。それが近未来の社会だ。
これらは、今、私たちの眼前で、足元で静かに進行している現実ではないのか?そう、当たり前にそう思う。それほど「近未来」との差がなくなっている。すでに私たちは「近未来」に生きているのだ。そして、眼前にしているものは、本当のことなのか?どこかで、誰かが?との疑念さえ起こりそうになる。
それが妄想ではないことは、この間のこの国の成り行きを見れば明らかだろう。したたかに、巧妙に、計算式でもあるかのように、権力者の思いのままに事が成就していく様は、「近未来」を越えているとも言えるかもしれない。日々、生起する事件や出来事を所与のものとして受け取っているが、もしそれが誰かの都合に合わせたストーリーそのものであったり、あるいはそれに沿うように改竄されたものであったら、どうだろうか?
考えすぎ、思い過ごしと言い切りたいところだが、本書が提示する「近未来」は絵空事どころか、深刻な現実味を持って私を狼狽させる。500ページの大著だが、あっという間に読める。それは、現実が合わせ鏡になっているからに他ならない。