物語の主人公は狩猟を専業とする秋田県阿仁町打当のマタギ・松橋富治で、時代は大正から昭和の初め。最初の3章ではマタギの猟の描写が続き、マタギとは何か、その精神性を含む生きようが示される。言葉でしか知らなかったマタギの世界が開けるのだが、想像力が及ばないことを知る。
富治は、地元の肝煎(長兵衛)の娘・文枝に夜這いをかけ、懇ろになり、文枝が孕むが、長兵衛の怒りをかい、鉱山送りにされる。4~6章で親分・子分の世界で成り立つそのようすが描かれる。才覚を発揮した富治は子分持ちとなり、巨漢の小太郎を従える。休みになると姿をくらます小太郎をいぶかしみ、後をつける富治。何と小太郎は鉄砲をかついでクマ猟をしていたのだ。
そんなとき、鉱夫長屋を雪崩が襲う。九死に一生を得た小太郎は見切りをつけ村に帰る。富治も後を追うように小太郎の村を訪れる。村に住みたいと区長に願い出るが、小太郎の姉(イク)と夫婦になることを条件にされる。イクは12歳で遊郭に売られ、その後、村に帰ってきたが、村の男衆を含め、身を売りながらくらしている。実は小太郎は捨て子でイクとは血のつながりはなく、二人も男女の関係にあることを富治は知る。そうした事情を知ったうえで、富治はイクと所帯を持ち、「富松組」の頭領(スカリ)としてマタギを続ける。
一人娘の嫁入りを機に、イクが姿を消す。探し回る富治。その直前、文枝から会いたいとの書付をもらい、富治は文枝と会う。その留守に家を出た富治と文枝の子がイク宅を訪れ、二人は行方をくらます。富治と文枝は探し回り、富治の実家に行き着くが、すれ違いとなる。イクを求める富治。イクの残した言葉を頼りに、二人が出会った肘折温泉に向かう。
タテをおさめて(マタギをやめる)、水入らずの穏やかなくらしをすることにした富治だが、イクに押されて仲間と最後の狩りに出る。しかし、マタギが崇める山の神の化身の大熊(ヌシ)を取り逃がす。富治は、一人でその跡を追う。根競べ・知恵比べとすさまじいまでの死闘の末に射止めるが、片足を食われ、全身に瀕死の重傷を負う。しかし、山の神に導かれるように生還する。
何ともはやすごい本だ。恐るべしと言うしかない。まるで眼前で熊狩りが行なわれているかのような臨場感に包まれる。自然の恵み=獣の命をいただいて生きるマタギの気高い精神性に驚きを禁じ得ない。マタギは単なる漁師ではもちろんない。山の神と獣とマタギ、その三者が大自然の中で、お互いを意識し合いながら、緊張と均衡を図りながら共存している。マタギはその結節点にあるというべきだろう。
昨今、熊があちこちに出没したり、人を襲ったりするといったニュースが増えている。獣が人間の領域を侵しているのか、その逆なのかはわからないが、微妙な距離感が崩れ、その境界があやふなになってきているのかもしれない。マタギが活躍した時代は遠い昔になり、山の神を媒介とした獣と人間のバランスが成り立つことも難しくなったせいかもしれない。
マタギの世界、それは想像を超えるものだが、とてつもなく心躍るものでもある。
以下も参照されたい。
「自著を語る」