林芙美子(1903年(明治36年)12月31日 - 1951年(昭和26年)6月28日)といえば「放浪記」。「放浪記」といえば森光子だろう。「放浪記」は、林芙美子が放浪生活の体験を書き綴った自伝的小説。それを森光子の主演、菊田一夫の脚本で、1961年に東京芸術座で初演。以後、公演回数は2009年5月29日まで、通算2017回を数えた。森光子は2012年に亡くなったが、今年(2015年)、仲間由紀恵の主演で、それは復活した。

森光子の「放浪記」をフェスティバルホールで観たのは2008年だから、もう7年前になる。それを、仲間由紀恵が新歌舞伎座で演るというので、「これは」と思い出かけた。会場は、「上本町FURA」の6階。駅を出ると、幟がはためき、「らしい」雰囲気が漂う。さすがに席は、びっしり埋まっていた。

ここで、森光子と仲間由紀恵の演技を比べるのは、野暮というものだ。仲間の若々しさや華やぎは、良くも悪くも隠しようがなく、林芙美子が辛酸を舐めるようにして生きた「かの時代」を表現するには、いささかのぎこちなさと違和感も否めなかった。だが、仲間由紀恵の舞台には、凛とした「華」があった。それは、小柄な女性であったにも拘らず、背筋をしゃんと伸ばした立ち姿に、何とも言えない哀感と情緒、そしてスケールの大きさを漂わせた、森光子のそれと重なるものであった。

林芙美子が、雑誌に自分の小説が掲載されたことを知り、着物姿でガッツポーズをしながら飛び跳ねる場面で、森は「でんぐりがえり」をした。さて、「仲間はどうするのか」も注目の一つだったが、彼女は勢いをつけて舞台上手に向かって側転し、そのまま床に寝転がって2回転した。練りに練った末の趣向なのだろう。偉大な先人に比されつつ、自身の新境地を切り拓いていこうする意気込み・決意が伝わってきた。仲間由紀恵の「放浪記」は始まったばかりだ。味と色をどう深めていき、自身の代表作にするかは、これからにかかっている。ライバルの日夏京子を演じる若村真麻由美の小気味の良い演技と美貌も、目を引いた。終生、芙美子を支えるが、報われることのない役を演じた村田雄浩は、さすがに上手い。笑わせて、ほろりとさせて、共感を呼ぶ。脚本にも、無駄やたるみがいささかも感じられず、さすがだと思った。
「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」。林芙美子は、まさにその通りの人生を生きたのであろうが、仲間由紀恵には、どうかこれから、公私ともに様々の経験を経て年輪を重ね、森光子同様に長きに亘って「放浪記」を磨き、鍛え、深めていってほしいと思った。先が楽しみである。
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