来年1月27日に「住民の会の交流会」開催の連絡があった。21回目の三者協議の「日程」に前後する時期にあたるが、「証拠リスト」の開示をめぐる攻防が山場を迎える時期でもあり、その成り行きが注目されることは間違いない。
第3次再審の行方を傍観しているぶんにはそれでいいが、それ以上の思い入れをもっている者にとっては、事はそう簡単には済まない。三者協議の前か後か、それがとてつもなく大きな意味を持つからだ。今持てる力のすべてを、証拠リストの開示に注ぐという当たり前のことが、その目処も明らかにされないまま、いわば異常な事態のままに推移する可能性が強いからだ。
前回の三者協議で、弁護団が求めた証拠物の一覧表(リスト)について、裁判所は検察官に対して、開示の方向で検討してほしいという姿勢を示したが、検察官は三者協議直前の10月27日付で証拠物のリストの開示勧告はなされるべきではないとする意見書を提出した。弁護団は10月29日付ですぐに反論の意見書を提出し、検察官の意見書が、前回の三者協議の結果と証拠物リスト開示の方向を示した裁判所の要望を無視していることを指摘した。
しかし、今に至るも検察官の主張も弁護団の反論の内容も伝わってこないままだ。「証拠リスト」の開示がなるかどうかという、いわば歴史的な事態を前にしたこの「沈黙」と「静けさ」は尋常ではないと思う。本当に、「証拠リスト」の開示の成否がかかっているのであれば、ここは果敢に「攻める」べきではないのか。愚直な私はそう確信する。
三者協議の日時はおろか、検察官・弁護団の主張すらも明らかにせず、裁判所の「判断」にすべてを委ねるかのようなあり方でいいのかと思う。もちろん、それで所期の成果が得られればそれに越したことはないが、果たして、「狭山」はそれで回路が開くのか、一抹の不安と疑念は消えない。だから、「1・27交流会」の意味と位置づけを明確にしてほしいと思う。