「油断は大敵」だが、油断しなくても、「敵」が現れることもあれば、「事件」が起こることもある。「一寸先は闇」で、「今日」の次に平穏な「明日」が続くかどうかも保証の限りではない。しかし、日頃はそんなことは「想定」せず、安穏・安閑と過ごすのが人間で、だからこその「日常」でもある。
それが破られる事態は、突然に思いもしないところからやってくる。「まさか!」である。その「まさか!」が現実になったとき、驚き、うろたえ、あわてるのは当たり前だ。そして、それらは次に「怒り」に変わり、「敵」とおぼしき相手に批判の矛先が向く。「豹変したのはなぜか?」「望みは何か?」・・・問いただすことは山ほどあるが、的確な答えは返らず、焦りが・・・。
突然の暴風によって「混乱」の極みに立たされ、先の見通しも定かでないなか、思索をめぐらし、暴風の源を突き止め、和らげるための手段を講じる。それで事態は収束に向かうのかどうかはわからないが、とりあえずの「気休め」にはなる。
打つべき手を打ち、「守り」から「攻め」に転じる時を見据え、その準備にかかる。時間との勝負でもあり、「その時」を逸すると、事態を止めることはできなくなるだろう。事態が変わればよし、変わらずば、かねての手はず通りに動くのみ。かくして、賽は投げられた。