「チリ」「人民連合」「アジェンデ」「ピノチェト」とくれば、革命詩人「パブロ・ネルーダ」(1904年7月12日 - 1973年9月23日)を想起せずにはおかない。

【年譜】
13歳頃より詩作をはじめ、新聞に投稿する。
1921年(17歳)、革命的な示威運動に参加(「政治は私の詩と人生にはいってきた」)。1923~26年、詩集を発行し、詩人としての名声を獲得する。
1927年、外交官生活に入る(1936年)。
1936年、スペインでのファシストの暴虐を目の当たりにし、最初の政治詩を書く。
1945年、共産党公認候補として上院議員に当選し、入党する。
1947年、民主勢力によって大統領になったガブリエル・ゴンサーレスの裏切りを弾劾したネルーダは弾圧を逃れるために地下にもぐり、1949年に亡命する(1952年、帰国)。
1969年、共産党の大統領候補に指名されるが、1970年、「人民連合が花咲くなら、国じゅうが花咲くだろう。乾ききった大地をうるおすだろう。ぶどうは熟れて、秋のぶどう酒をかもすだろう」と、立候補をとりさげ、アジェンデが統一候補となる。
1971年、駐仏大使に任命されるとともに、ノーベル文学賞を受賞する。
1973年、病気のため任を解かれて帰国し、人民の闘争に参加する。同年3月、上下両院選挙で人民連合が勝利するが、右翼反対派は暴力で政権を覆す画策をする。同年9月11日、ピノチェト将軍による軍事クーデターによって、アジェンデ政権が倒される。監視下に置かれたネルーダは、9月24日、69歳の生涯を閉じる(肉体の上と、精神の面と二重に殺された)。
そう、彼は殺されたのだ。献身的にチリ人民に奉仕し、その未来を共に切り拓かんとしていた途上で、無残にもその夢を打ち砕かれた詩人の最期の声を改めて刻みたい。

今もこの「死刑執行人」はその系譜をつなぎ、世界のあちこちでその手を血に染めている。この連鎖を断ち切らねば、虐殺された人々の魂は救われない。そう、そうなのだ。
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