当たり前のことが当たり前に扱われない。これを理不尽と言わずして何と言うべきか。しかし、こうしたことが枚挙に暇がないのが現実だ。その最たるものが東電原発事故の責任の所在をめぐる問題だ。告発を受けた検察は不起訴で応じるというトンデモナイことをやってのけた。これが検察の正体だということを満天下に示したといっていい。
しかし、検察審査会はこれを覆し、3名を起訴相当とした。至極当然、誰もが納得する結論だ。これだけの大事故を起こし、とてつもない被害を与えた者たちが、誰一人としてその責任を問われないことなど、ありうべからずことだ。検査審査会の在り方については異論もあるが、今回は「市民感覚」が働いた好例だと言える。
問題はこの先だ。検察がそう動くのかだ。一度、不起訴にしたものを、再捜査して起訴に持ち込むのかどうか。ここは世論の後押しが不可欠だろう。彼らが尋常にそうするとは思えないからだ。まだまだ道は険しいが、この道を行くしかない。
●読売新聞(7月30日)夕刊より