「茨木のり子」を知ったのはごく最近で、新聞の書評で後藤正治著「清冽」(詩人茨木のり子の肖像)(2011年2月4刷)を読んでからだ。そして、詩集「倚りかからず」を読み、自由奔放というか、その瑞々しい感性に心を惹かれた。
彼女をとりあげた『展示会』があることを雑誌で知り、「ああ、観たいなあ」と漠然と思った。しかし、会場は東京で、そのために行くのは憚れた。期日が迫る中、それなら「図録」だけでもと注文をした。が、何だか、落ち着かず、払い込みを先延ばしにしていた。
その間、茨木のり子展」が私を惹きつけるような感じと、これを観ずしてどうするのかという脅迫観念めいたものが内部で渦巻き、それらに押し出されるように東京に赴いた。京王線「芦花公園駅」南口から歩く。閑静な街並みが続き、会場である世田谷文学館はその一角にあった。
入口を入るとショップと受付カウンター、その奥にイベントステージ、左奥には喫茶店、展示室は2階という構造だ。休憩をしたかったが、喫茶店は満員だったので、先に展示を見ることに。
ぐるっと回ったが、内部はかなり広く感じた。とてもいいつくり(レイアウト)だ。茨木のり子の「すべて」がそこにはあった。ああ、来てよかったと。
何が引き合い、何のために?そう、その答え(つながり)は、「寺本知」だ。昨年、「生誕100年」のイベントをしたが、「寺本資料」の多くはまだ眠ったままだ。これをどうにかしたい、その思いが引き合わせたのだ、と思う。そして、整然と展示された「茨木のり子展」を観て、その思いは一層募った。