
歌舞伎座新開場一周年記念 「鳳凰祭四月大歌舞伎」で、坂田藤十郎が『曽根崎心中』で一世一代のお初を演じ納めた。文楽、歌舞伎、映画などでおなじみだが、やはり、坂田藤十郎を置いてはない。その演じ納めが歌舞伎座1周年の舞台にかかった。
御年82歳とは到底思えぬ若々しさと色っぽさで、お初を演じる藤十郎に、歌舞伎役者のすごさを思った。芸に対するひたむきさ、飽くなき探究心、果てを知らぬ向上心など、その道を極めんとする人だけが持つオーラに似たものが漂っていた。
藤十郎は、上演にあたって思いを次のように語っている。
歴史を塗り変える
「お客様とご一緒にこのラブストーリーを。本当にうれしいです」。近松門左衛門が実際の事件を題材に人形浄瑠璃として書き上げ、人気を博したものの長く上演の途絶えていた『曽根崎心中』は、1953年8月新橋演舞場で、新しく歌舞伎として上演されました。そのときのお初が二代目扇雀、現在の坂田藤十郎です。徳兵衛は父の二世中村鴈治郎が勤めました。「男と女の愛情の深さが一挙手一投足に出ている芝居です」。
この上演で『曽根崎心中』は社会現象といわれるほどの人気を得て、翌々年には人形浄瑠璃も復活上演されます。
1980年12月、京都の顔見世で父の鴈治郎が休演、急遽、東京から駆け付けた翫雀(当時、智太郎)が徳兵衛を勤めます。「どんな気持ちになるのかなと思ったけれど、我が子がやっている、とはぜんぜん思いませんでした」。以来、菊五郎、梅玉、扇雀、十二世團十郎も徳兵衛を勤めています。「本当に、徳兵衛は一人。違う人には見えません」。そう語る言葉は、お初だからこそ出てくるのでしょう。
1995年1月には大阪の中座で1000回目のお初を上演、翌日、あの阪神淡路大震災が起こります。「大きく揺れて驚きました。お初をやるたびに、いろいろ思い出します」。初演から61年目、藤十郎はまさにお初とともに生きてきました。
お初を生きる
それでも、「お初というお役をいただいて以来、気持ちはずっと変わりません。初演の演舞場でパーッと幕が開いたときの気持ちと、今度も同じだと思います」。上演に当たってさまざまな工夫が重ねられてきましたが、演じる気持ちに変化はないと藤十郎は言い切ります。「"一世一代"でもそれは変わらない。これまでも、いつもこれが最後、みたいな気持ちはずっと持ちながら演じ続けてまいりました」。
お初の最後は心中です。「お初が"うれしい"気持ちになったら幕を閉めてと言っています。一緒に死ねるからうれしいというより、また次の人生が始まる、新しく生きるからうれしい。"愛の永遠"じゃないかと思ってやっています」。お初のその情熱、愛の強さが、演じる藤十郎を最後に、「清々しい、晴れ晴れとした気持ち」にさせるのでしょう。
お客様にお初をご覧いただくのではなく、「お初の幸せの生涯をやりますので、お客様もその時間をどうぞご一緒に」と呼びかけた藤十郎。「ぜひ、歌舞伎座にお越しください」と、笑顔で会見を締めくくりました。