高知新聞「小社会」
2013年11月14日08時13分
「ジョン万 銀座で死す」。先日の高知新聞に躍った見出しに引きつけられた。幕末の偉人、ジョン万次郎は1898(明治31)年11月12日、京橋区弓町8番地で亡くなっている。それが銀座2丁目の一等地であることを東京の研究会がほぼ特定した。
宝飾品大手のしゃれたビルが立つ日本一華やかな街の一角である。研究会の尽力がなければ、ここが家族とともに静かな晩年を送った「ジョン万終焉(しゅうえん)の地」だとは誰も気づかなかったに違いない。
過去と現在のギャップは以前、四万十市出身の思想家、幸徳秋水らが設立した「平民社」跡を訪ねた時にも感じた。今は新宿駅南口近くの雑居ビル。こちらも都会のど真ん中だが、明治末年は畑も広がる郊外だった。
平民社の前には巡査が詰めたテントがあり、秋水の一挙手一投足をうかがっていた。天皇暗殺を企てたという大逆事件で首謀者とされた秋水について、「裁かれたのは(行為ではなく)思想だった」とし冤罪(えんざい)とみる識者は多い。
国会で審議中の特定秘密保護法案。行為を伴わなくても秘密を漏らすよう働き掛けたり、誰かと計画を話したりしただけで罪に問われる恐れがあるといわれる。何を考えているかが裁かれた秋水の時代との距離が縮まりそうな気配が漂う。
「空気は今や少しも流動しなくなった」。大逆事件が社会に与えた影響を石川啄木はそう書いた。息苦しい時代に戻るわけにはいかない。