半世紀を闘い続けている狭山闘争は今、第3次再審の大きな山場にある。支援の輪も拡がってきているし、文字どうり千載一遇の好機と言っていい。気を抜くことなく、この動きをさらに・・・.との思いは誰しも同じだろう。それで、再審への道が開けるのならそれにこしたことはない。しかし、猜疑心の強い私は、やはり危惧をぬぐえない。幾度も辛酸をなめさせられてきた歴史があるからだ。
重ねてきた敗北の総括とそれに基づいた対応策なしに、新たな展開も飛躍も期待できないと考える。しかし、この間、そうした作業がなされてきた形跡を見ることはできない。私の思い過ごしや偏見であればそれにこしたことはないが・・・。
ところで
、「狭山事件を検証する」氏がサイトで、「前例がないことをやる・・・こと」なる一文を書いておられるが、私としても感ずるところが多い。狭山50年の闘いを顧みれば、おおよそ思い付くことはほとんどやってきたという気がする。だから、改めて「前例がないこと」を問うと???と、うなってしまう。が、だからこその問いでもあるのだろうと私は納得をする。
みんなが喜んでやることにではなく、気乗りのしないことや、見過ごしていることを見つけて、シコシコやる、そんなありようが似つかわしいと我ながら思い、納得もする。だからと言うべきか、業と言うべきか、現状にはすこぶる批判的となってしまう。言わずにおればいいことも言ってしまうし、言った以上は自ら実践するはめにもなる。
そして、思う。これでいいのだと。私にはこれしかないのだと。フ~ム・・・。