京都・南座「五月花形歌舞伎」の「鎌髭」を観た。市川宗家での上演が江戸時代の初演以来240年ぶりという「歌舞伎十八番」のひとつで、景清役を市川海老蔵が熱演。南座は市川團十郎が最後の舞台を踏んだ場所で、「本来ならば、父・團十郎と共演したかった舞台でございます。精いっぱい勤めることで供養になれば」と口上を述べた。
花道から海老蔵が登場するや、場の雰囲気はガラリと変わる。海老蔵が放つ独特のオーラとも言うべきものが、満場を席巻し、その一挙手一投足に観客の視線が集中するなか、役者と客席とが一体となって舞台が進行する。演ずる者も観る者も、思わず力が入り、渾然一体となる。
連綿と続く歌舞伎界の歴史と伝統の力を目の当たりにした思いがする。しかし、その舞台裏では知られざる苦闘があるだろうことも想像に難くない。表の華やかさを生み出すものがそこにはあるはずだ。400年の時間を経て、なお人々を魅了してやまないのは、歴史と伝統が絶えず革新されているからに他ならない。
それは、「和食」の世界にも共通することだと、先日、知ったが、歴史や伝統は守るだけではだめで、常に新しいものを取り入れ、時代の要請に応えていかねば滅ぶということだ。
当たり前のことではあるけれど、これがなかなかに容易なことではない。しかし、それをやりきらないと明日はない。部落解放運動もしかりだ。