3月25日の毎日新聞に「原発事故を風化させるもの」という題で柳田邦男さんがこう書いている。
「『避難者の権利』を認め、健康や暮らしの支援を目指して昨年6月に成立した『原発被災者支援法』は、政府の基本方針すら決めずに放置されている。被災者の補償への強力な行政指導もない。一方で、原発再稼働への水面下での動きが活発化している。国民の目をマネーゲームにむけさせかねない財政・金融政策も動き出した。風化の風を起こしているのは、政府・行政ではないか。原発事故とは何だったのか。そのリアルな姿を再確認する作業は、いよいよ重要になっている。」
まさに、この通りの事態が進行している。「3.11」で、私を含めてこの国の人々は、目覚めたというか、大切なものは何かがわかったはずだと思ったが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」かのように、ズルズルと元来た道に引きずり込まれていっているのではないか。恐ろしいことだ。
また、南三陸出身の宮城大学の山内明美という研究者が、「思想が生まれる場所は、不幸な場所」と言っているが、もっと言えば、「新しい価値観、新しい生き方、新しい思想」は、不幸な場所で、不幸な時間に、不幸な人々によって生み出されるのだと思う。だから、私はそういう人たちとつながっていきたいと強く思う。