7年にして、アクセスが10万に達した。特別な感慨はないが、これを区切りにして、「次」をめざしたい。
2か月前、広野町を訪れたレポートを書いたが、そのときはちょうど役場が戻ってきたばかりだった。緊急時非難準備区域は昨年9月30日に「解除」されていたが、住民の帰還は進ます、通りを歩いても人に出会うことはなかった。
5月11日の読売新聞に掲載された、広野町を含む緊急時非難準備区域のデータはそうした実情を反映している。政府が「収束宣言」を発し、「除染」のPRに努めても、おいそれとは帰れないのだ。数字が物語っているのは、原発事故をなかったかのごく、おおい隠そうとする政府の姑息なやり口への批判ではなかろうか。
今日も広野の町は、静かで、火力発電所の煙突の煙だけが勢いよくたなびいているだろう。