「3.11」から5か月半、「被災地」に足を踏み入れた。決して褒められた言い方ではないが、このたびのことがあって、一度は現地をこの目でと思っていた。遠く離れていても、テレビ等で現地の状況は、リアルタイムで見ることができるが、切り取られた平面的な映像には限界があるからだ。
飛行機が降り立った仙台空港から出ている鉄道は、まだ一部不通で、バスを乗り継がねばならない。運悪くそのバスが出た後で、仕方なくタクシーで鉄道駅に向かった。あたりは何もなく、津波の跡がまだ感じられたが、これは序の口だ。
そして、仙台駅から、今年の5月に訪れた塩釜~松島に向かう。本塩釜で降りて、観光船で松島に。駅から船の出るマリンゲート塩釜への道は、いたるところ、アスファルトがめくれたり、家々の窓ガラスが割れていたり、痛々しい様を呈していた。海岸沿いに差しかかると、歌碑が倒れたり、歩道の煉瓦は飛散するなど、その時のまま、手つかずにあった。乗り込んだ船から岸壁を見ると、打ち上げられた船が船底をさらしていた。
松島の島々は変わることのない美しさだったが、心なしか一抹の寂しさをたたえているような気がした。そして、松島海岸に降りると、観光案内所は閉鎖されたままで、仮設の建物でやっていた。土産物店も多くが閉まっており、復興いまだ遠しの感を強くした。