当たり前ですが、受け止め方や考え方は人それぞれで、「松本事件」のコメントを見てもそれはわかります。問題は、どこを・どう切り取って、事の本質をあぶりだすのかということにあります。その点からいえば、「九州人だから」とか「B型なので」との発言も「問題あり」だとは思いますが、私自身は、それらはこの事件の「本筋」ではないと思います。もちろん、それを取り上げること自体を否定するものではありませんが・・・。
私の問題意識は、「運動体の体質が問われる品格と恫喝、最悪です」「部落差別が助長されたことは間違いのない事実である」「部落解放同盟として、この事案をどのように総括するのか」との平河さんの指摘と重なります。そして、「松本発言は部落解放同盟という組織全体の差別体質の問題であって、個人的次元に矮小化してはならない」とのKさんの指摘にも同意します。
松本龍個人が反省して、被災者に謝罪し、職を辞したことをもって、世間は責任をとったということで一件落着となるでしょうが、私(たち)にとっては、それで事は終わりません。まさに、「松本問題」は、部落解放同盟という組織のありようを問い、部落解放運動とは何たるかを問い、部落問題とはどういう問題であるかを問うていると考えるからです。
また、Sabetunakusitaiさんが、「この間、部落解放運動が『進んでいる』ようには見えませんが、逆に、確実に世間の差別意識は解消の方向に向いてきているのではないのでしょうか」とおっしゃっていますが、これにも私は同感します。
部落解放運動自体は「進んでいる」どころか、「停滞ないし後退局面にある」と思います。それでも、差別意識が解消の方向にあるのは、部落問題が焦点化されない中にあっても、地域での地道なとりくみがねばり強く続けられていること、また、部落問題のみならず、さまざまな人権課題に関わる人々のさまざまなとりくみがあることが寄与しているからだと推測します。その意味では、「松本事件」はこうした人たちを足蹴にし、その努力を水泡に帰すものだと言わねばなりません。
だからまずは、彼自身がこれらの問いと誠実に向き合い、自問自答すべきです。そして、彼なりの思索の結果を明らかにすべきです。彼のポジションからすれば、それは当たり前のことです。何故にかかる事態を引き起こしたのか、深い内省に基づく的確な洞察を求めたいと思います。さらに、組織と運動に責任ある者は、その立場からの見解・対応を明らかにすべきことは言うまでもありません。
私は、こうしたことが解放同盟という組織のなかでなされることに期待します。
今朝、「松本龍前復興相が入院。地元の挨拶回りで疲労が重なった。命に別条はない」とのニュースが報じられました。「薬を服用」との情報もあり、憶測が憶測を呼んでいます。辞任から1週間、彼は何を思い、これからどうしようと考えていたのだろうと、改めて思います。