【訴訟にいたる経過】
知ってのとおり、市民による情報公開運動は自治体の官官接やカラ出張をはじめとする公金の使途のチェックに多大の力を発揮してきたが、2001年4月より情報公開法が国においても施行された。だから、これを狭山に使えないかと考えても不思議ではない。もちろん、公開請求しても開示されることなど望むべくもないが、結果ではなく、やること自体に意義があるのではないかと。実際、刑事訴訟法第53条2項には「訴訟に関する書類は情報公開法の適用対象外とする」との規定が盛り込まれ、しっかりガードされており、これに跳ね返されることも間違いがない。しかし、それでもやることによって何かが見えることもあるかもしれないし、思いつくことは何でもやってみるべきだとの手前勝手な思いこみから踏み切った。
さて、問題の第1は文書の特定だ。証拠開示につながる文書って一体何か?もとより、検察がどんな文書を作っているのかも知る由もない。そこで東京高等検察庁に出向いて、証拠関係の文書の一覧をみせてもらい、その中からそれとおぼしきものに見当をつけて公開請求した。結果は予想どおり不開示。すぐさま、検事総長あてに審査請求するも、検事総長は異議を認めず、第3者機関である「情報公開審査会」に諮問するにいたった。そして、審査会はこれまた予想どおり、「不開示決定は妥当である」との答申をだした。経過は以下のとおりだ。
<公開請求した文書>
狭山事件に関する「証拠品金品総目録」と「領置票」
2001. 7.12 東京高検に公開請求
2001. 8.13 東京高検、不開示決定
2001. 9. 1 検事総長に審査請求
2001.12.27 検事総長、「審査会」へ諮問
(この間、双方の意見・反論のやりとり)
2002. 8. 2 「審査会」の「答申」
2002. 8.22 検事総長の「裁決書」
公開請求した文書はいずれも表形式になっているが、簡単に言うと、「証拠品金品総目録」は、品名・数量・相手の名前と住所などが記入された一覧表(リスト)で、「領置票」は、個々の証拠品の履歴が記載されたものだ。検察の主張および審査会の判断は、「証拠品金品総目録」については「訴訟に関する書類である」として、「領置票」については「個人情報である」として不開示とした。文書には、年月日や数量、符号なども記載されているのに、それすらも開示しない(部分開示もできないという)のだ。一文字たりとも開示しないという究極の秘密主義を貫いている。情報公開法を死文化する暴挙と言わざるをえない。こんな「答申」や「裁決書」は認めることはできない。
「答申」は、情報公開審査会のホームページに掲載されている。アドレスはつぎのとおり。http://www8.cao.go.jp/jyouhou/tousin/004-h14/index004.html
答申番号136および137(内容はどちらも同じ)