千年に一度の大震災が、原発事故という新しい魔物とともに日本を襲った。大津波は、命を呑み込み、営々と築き上げてきたくらしの一切を水泡に帰した。死者、行方不明者は万単位、被災者は十万単位。自然の底知れない破壊力に世界中の人々が震撼し、涙し、祈る。無残な光景を前に人々は、絶望することすらできず、ただただ立ち尽くす。
過去を断ち切られ、未来を奪われ、現在を苦悶する人々は、哀しみを胸深くに仕舞い込み、静かに、整然と現実と向き合う。人はどこまで人を思い遣れるのか?いたわり合い、支え合い、励まし合う姿は、感動的ですらある。
必要な支援が必要としている人々に届かないのはなぜ?安全と喧伝されてきた原発が壊れたのはなぜ?「想定外」が飛び交うのはなぜ?天災のなかに人災が隠されていない?尽きない問いに的確な答えは返ってこない。歴史の闇に埋もれさせてはならない。
水と食べ物と暖を!被災者の要望は慎ましい。私にもできることはあるはず。できることを、できる範囲で、それぞれのやり方でやればいい。「私も心を痛めているよ、忘れていないよ」とのメッセージだけでもいい。
支援・復興は長期に渡る歴史的事業。政治も経済も社会も既存のありようでは間尺に合わない。科学も文化も文明までも根底から揺すぶられている。危うさと背中合わせの私たちのくらしもまた然り。人間の歴史は自然との闘いでもあり、その力をコントロールすることによって発展してきた。原子力もその一つ。予断を許さない福島の事態。クリーン・エネルギーが、大気を海を大地を、生きとし生けるもの全てを汚染する。過信やおごりはなかったか?間違いや誤りをただし、後戻りする勇気を持ちたい。