生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬等、その徴表が見られるが、そうした繊細なイメージとよくマッチした作風のものばかりでなく、そうした自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、情熱的な作風の曲も多く見られる。
後半生は大部分をフランスで過ごした。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言によりポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもしばしばである。また、女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』、『幻想曲』、『バラード第4番』、『英雄ポロネーズ』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』等数多くの傑作が生まれた。「Wikipedia」より
2010年は生誕200年ということで、さまざまにとりあげられたショパンだが、本書を読み、その人となり、生きざまを知ることができた。プロイセンやロシア、オーストリアの列強による支配のくびきから解放をめざす運動への参加か、音楽の道を究めるべきか、深い葛藤の末に旅立つ。しかし、その身は故国・ポーランドにあらずとも、心は常に人々と共にあった。その作品には、故国への熱く、尽きない想いがこもっている。しかし、再びその地を踏むことなく、異国で39歳の生涯を閉じた。