仕事が終わり、一路帰宅する足が止まる。
なんとはなしに見上げた空には「中秋の満月」が光る。
雲をしたがえ、雲にさえぎられつつ、歩く月。
その輝きは心を洗うかのように清く、
際立つ丸さは、手を伸ばせば届くかのように近しい。
零れ落ちそうに笑っている。
今夜は「人権サロン」で映画「中村のイヤギ」の上映会。
夜は雨との予報だったが、降られずに済んだ。
開会前からボツボツと人が集まり、40人近くに。
フィルムは淡々と中村とその人々を映し出し、
何の虚飾もなく、あるがままの人々の表情と語りが続く。
それだけに消えゆくムラの悲哀がにじみ出る。
歴史を刻んだムラは姿を消したが、
人々の記憶とフィルムにそれは刻まれた。
歴史は新たなステージで引き継がれる。
知らないことは罪ではないが、
知る機会を得る努力を怠ってはならない。
知ることなくして次の一歩はない。
「中村」は、かつて近くて見えなかった。
「中村」は、昨日までそこにあった。
「中村」は、今はもうそこにはない。
見るべきものを見なかった私たち。
語るべきことを語らなかった私たち。
聞くべきことを聞かなかった私たち。
フィルムはそれを少しばかりカバーしてくれた。
語る人は誰も恨み・つらみを口にしない。
長い時間の流れがとげを抜いたかのようだ。
しかし、私たちは忘れてはならない。
豊中と地続きの「中村」のことを。
そこに刻まれた歴史を。