1.「運営委員会体制」の本質
支部長・書記長制から運営委員会体制に移行したのは、直接的には人的な問題(人材不在)に端を発していますが、決して組織運営が行き詰まっての“窮余の一策”ではなく、その本質は部落解放運動が置かれている客観的状況、すなわち“時代の要請”によるものだということです。
支部長や書記長を中心とする水平社以来堅持してきたピラミッド型(よく言えば民主集中、悪く言えば上位下達)の組織体制は、金属疲労のピークにあり、もはや対処療法では延命できない事態にあったのです。これは豊中に限らず、どこも抱えている共通の問題であることは、大阪府連が「夢パンフ」で提起していることからも明らかです。では、なぜ豊中に先鋭的に現れたのかと言えば、豊中では利権や人事抗争もなく、運動は原則的に展開されてきたし、同促方式による適正な事業が早くから実施されてきたという他にはない特徴があったから、すなわち、組織はその限界まで極められたのだと思います。かくして生み出されたのが「運営委員会体制」であり、それは時代の要請である、いわゆる第3期の運動創造にふさわしい組織形態の一つです。
解放運動の歴史において先見性と先駆性を発揮してきた豊中の伝統は、やはりここでも継承されたと考えるべきで、私たちは壮大な実験を試みているのだと思います。もちろん、それが功を奏する保障はありませんが、それぐらいの気概を持つべきです。
2.「運営委員会体制」の核心
行政依存から脱皮し、自立した自主的な運動を創ることが急務ですが、これを100回唱えても事態は変わりません。人を動かし、現実を変えるためには、やはり具体的な“モデル”が必要です。
年々、求心力が弱まり、影響力をなくしつつある解放運動をよみがえらせるためには、まずそこに関わる者が生き生きと輝くことが不可欠であることは言うまでもありませんが、それをお題目で終わらせないためには、組織のためでも誰かのためでもなく、自分のためにする(今流の言葉で言えば、自己実現と自己解放めざす)運動を主軸に据えるべきです。もっと平たく言えば、やりたい者がやりたいことができる、個人の「わがまま」を受け入れることのできる組織のあり方と運動の展開が求められます。再生への第1歩は「ねばならない」から「したい」運動への転換です。
運営委員が担うべき最大の仕事がこれです。そして、ここにそ「運営委員会体制」の成否がかかっているのです。
はっきりととらえることはできませんが、豊中のなりゆきを少なからぬ人たちが注視しているはずで、その「期待」に応えるためにも、「新しい運動」とは何であるかを事実をもって示したいものです。