17年半もの時間を奪われ、人生をめちゃめちゃにされた菅家さんの怒りは想像を絶する。しかし、彼は謝罪を受け入れ、今は、同じ苦しみを味わう人がないようにと、自らの冤罪がなぜ起こったのかを明かにするよう求めている。
冤罪はなぜ起こるのか?問いつくされた問いだが、その罠に陥れられた当事者の話を聞くに勝るものはない。「もっともだ!ほんまや!大変でしたねぇ!」と頷き、賛同しながら聞くことだけなら、誰でもできる。だが、心にしみるだけではなく、「人は過ちを犯す」ということ。「許せないこと」は何なのか?「許す」とは、どういうことなのか?「誰が?何を?許すのか。許してはならないのか。」そんなことを、自分の在り方と照らし合わせながら、思索を深めるきっかけになるような聴き方をしてほしい。
さて、再審裁判も始まり、裁判所は彼の意向を受け入意あるような姿勢を示しているが、油断はできない。誰もが納得のいく裁判が行われるよう注視したい。いよいよ今日(6日)、思いが通じて、菅家さんが豊中に来る。この機会を逃さないようにしていただきたい。午後3時~、豊中人権まちづくりセンターへ。