「立花町連続差別ハガキ事件で、7月7日に事件の被害者が偽計業務妨害の容疑で逮捕され、翌8日、マスコミが「自作自演」として報道、解放同盟福岡県連は、同日、「緊急声明」、そして、22日の県連定期大会で「第一次見解とお詫び」を発表した。
「第一次見解とお詫び」について、お二人のコメントが指摘しているように、「一番の被害者であろう家族の方々」という文言をあえて、なぜ付け加えたのかと思う。「実名を控える」理由としているようだが、その理由なら、推定無罪の原則を言えば事足りるはずだ。それなのに「一番の被害者であろう家族の方々への配慮」などというフレーズを持ち出しているのは何か別の理由・意図というか、事件に対する認識の底の浅さを露呈しているように思う。
「差別ハガキ」に類する事件は、これにとどまらず、たくさん起こっているが、この事件は5年半という時間の長さ、「犯人」の執拗さ、地元はもちろん県内および全国各地、さまざまな団体が、「被害者」およびその家族の訴えを受け止め、支援・連帯のとりくみを展開してきたことなど、広範な人々を巻き込んできたという意味においても、特筆すべき事件となっていた。
「第一次見解とお詫び」は、そのことをしっかりふまえて書かれていると思う。しかし、私は読み進めながら、なるほど言葉や文言は的確に使われているなあと思う一方で、何だか美辞麗句すぎやしないかと、覚めた気分にもなった。水平社宣言が引用されていることへの違和感もあった。借り物でなく、自分たちの言葉を紡ぐべきだと思うからだ。
そして、違和感は最後に的中した。「一番の被害者」は家族?ほんま?何言ってるん!とないなっとるん?とうなってしまった。ああ、これはあかん!ここまで書いてきたことがウソになってしまうがな!最悪や!
そして、もう一つ、「見解」と銘打ちながら、報道されている事柄以上の事実は何も書かれていないのはなぜか?「容疑者」ととは近い関係にあり、さまざまな情報をもっているはずだ。それに基づく自らの判断が「見解」に反映されてもいいはずだ。「第一次」だからと言うかもしれないが、逮捕から2週間、時間はあったはずだ。「見解」を活かすためには、なぜ、こんな事態になってしまったのか、積極的かつ速やかな情報開示が不可欠だ。それが「お詫び」の具体的な第一歩ではないだろうか。