12月29日、なんでこんな無茶が…
昨日(28日)の毎日新聞の朝刊を見てびっくりした。地方版に市職員の停職処分の記事があり、その中で、停職に至る詳細な経過が記載されていた。明らかにこれは被処分者の個人情報であり、プライバシーだ。処分理由は20日間、無届けで欠勤をしたことであり、それ以上でも以下でもなく、公表するのはそれで事足るはずだ。
取材記事なのか、市の情報提供によるものか、当該課に確かめたところ、後者であることがわかった。どうしてそのような個人情報を公表したのかと問うと、処分理由の説明のなかで行ったが、配慮も求めたとのことだった。公表すべきでない個人情報を公表したという認識がないことに驚かされた。また、個人情報保護条例を所管する情報公開課にも出向いて問題を指摘したが、鋭い反応は返ってこなかった。
被処分者は、停職処分相当の事実があったにせよ、それをいいことにプライバシーまでさらされるいわれはない。また、行政が説明責任を果たさなければならないといっても、個人情報を公表する権限はない。
明らかに個人情報保護条例に抵触する由々しき事件だ。
# by sayamaziken | 2005-12-29 22:00 | 2005年12月 | Trackback | Comments(0)
12月26日、傍聴記
朝からときおり雨がふるというおかしな空模様で、薄ら寒い日だったが、、市の人権施策のあり方を審議する「人権文化のまちづくりをすすめる協議会」が今年度初めて開催されるというので傍聴にでかけた。
議題は、1.人権啓発市民ネットワーク会議」について、2.2004年度の差別事象について、3.虐待防止ネットワークについて、4.その他。
1~3まで事務局の説明・報告をうけて、委員が自由に質問・意見を述べるという形ですすめられた。「人権啓発市民ネットワーク会議」については、すでに21団体のメンバーで発足したところであるが、「市民」と銘打っているにもかかわらず「団体」のみで、市民が不在であること、新たな団体の加入をどうはかるのか、ネットワークの基本的な性格を明確にすべきではないかなど、ネットワークの理念や構成、活動のあり方にかかわる意見が多く出された。これらは次回のネットワークの会議で議論されることになるだろう。
二つ目の差別事象の報告にかかわっても、内容が口頭でなされてわかりづらかったこともあるが、例えば「同和地区の問い合わせ」があったときにどんな対応をしているのか?差別事象の一つひとつは人権啓発の教材であり、どのように活かしているのか?市民に差別の現実を問うていくべき、などどといった積極的な意見が出された。
「虐待防止ネットワーク」についても、現場から聞こえてくる声と市の報告とはギャップがある、虐待は当事者は声をあげることができず、第三者の発見・認知が大事で、市民の通報を丁寧に扱うべき、世代間連鎖は行政の福祉の貧困の結果でもあり、行政が言うべきではないといった意見があった。

どの委員もさまざまな分野で活躍しておられる方々であるだけに、どの意見・指摘もうなづかざるをえないものばかりだ。その意味では“濃密な”議論がかわされたのだと思うが、問題は受け手である市が果たしてどのようにうけとめ、どのように消化していくのかということだ。つきつけられた課題は生やさしくはなく、相当に汗をかかなければならないことは必至だ。と、ここまで考えると、じゃあ、「協議会」って一体何なの?と疑問がわいてくる。市の施策のあり方に意見を述べるのが役割なの?もっと主体的な役割があったのでは?と。
相手に注文をつけたり、批判することは比較的容易だが、こうしたらもっとよくなるのではないかといった建設的な意見が委員間で飛び交う会にすべきだろう。何かしら、議会のやりとりを聞いているみたいだった。

最後に、ある委員が「三井裁判」(「すてっぷ」の前館長が男女共同参画推進財団と豊中市を相手に訴えた雇い止め裁判)の情報提供を求めたことを付記しておく。
# by sayamaziken | 2005-12-26 21:26 | 2005年12月 | Trackback | Comments(0)
12月22日、 あれから11年
一雄さんが「仮出獄」して11年と1日。あっという間という感じがするが、再審の扉が固いままである現実をみると、長い長い時間が経過したようにも思う。この間、豊中には3度来てもらい、そのたびに私たちは熱いエネルギーをかき立てられた。しかし、悪癖というべきか、それが長続きしないことが悔やまれる。この1年のふりかえりはHPのほうで改めてしたいと考えているが、弁護団では今、来春に向けた準備が進んでいるはずだが、それが伝わってこないことがもどかしく思う。

今朝7時半ごろから降り出した雪は11時頃まで続いた。ほんとにびっくりした。デジカメを片手に自宅から目の前の職場までシャッターをきりながらいくと、なんと半袖Tシャツ1枚で通学している中学生に出会った。思わず「さむない?」と声をかけると、「うん」と平然と答えた。おそれいりました。

# by sayamaziken | 2005-12-22 19:22 | 2005年12月 | Trackback | Comments(0)
12月20日、部落問題は今、研究会
17日、三重から田畑重志さんを招いて、2005部落問題は今、研究会・シリーズ「部落問題はどのように伝えられているか」その(3)「インターネットの世界を通して考える」が行われた。8名という参加者にもかかわらず、田畑さんはインターネットと差別・人権をめぐる問題について丁寧に話をしてくれた。今日の、これからの差別・人権問題を考える際に、インターネット上の問題は避けて通れないだけに、もっと多くの関係者に聴いてもらいたかった、ほんとうにもったいないと思った。
愚痴はこれぐらいにして、少しばかり感想めいたことを述べたい。というのも実は今、当日のテープ起こしにかかっているのだが、今日(20日)の夕方、当日どうしてもこれなかった人から電話があって、前回はブログにレポートがあったと言われたこともあって、その気になった次第。

インターネット利用者はおおよそ8千万人とも言われるが、ネット上で差別・人権侵害が横行していることを知っている者はごく一部だということにまず、驚いた。わたしは仕事柄、そういったサイトを時にはチェックもするが、多くの人々にはそんな動機はあるはずもないし、たとえたまたまそんなサイトに行き着いたとしても、それが差別・人権侵害だとして問題視したり、管理者に削除を求めたり、しかるべきところに問題提起することもないのが現実だろう。あらゆる問題のスタートが現実を正しく知り、それに、学ぶことにあるとするならば、インターネットの世界における差別・人権侵害の現実を知ることこそがまずは大事なことなのだと思う。

そして、多くの差別書き込みは意図的に(確信犯ともいえる)なされており、それは確実に被差別マイノリティを傷つけるということだ。それは社会の病巣の一部を映し出していると言って割り切ることは、あまりにも犯罪的だろう。書き込みしている者の向こう側にも、同じ空気を吸って暮らしている同じ人間がいることに想像力が及ばず、いや、その反応を楽しむかのような、挑発するかのようなあからさまな差別をして悦に入る人々が、ネットの匿名性に庇護されつつ、悪態の限りを尽くしている。田畑さんが示したいくつかの例からもそのことがわかる。

こうした傾向は強まることはあっても弱まることはないというのが現在および将来の確かな見通しだ。しかし、これに対する反差別・人権確立の側の対応は大きく出遅れている。このフィールドのパイオニアでもある田畑さんも自嘲気味に、かつて「お前は3本に指に入る」と言われそうだが、何のことなはい、そもそも当時3人としかいかなかったそうだ。果たして、今そうした状況がクリヤーされたかと言えば、必ずしも劇的な変化はないようだ。
それにインターネットは国境を越えるもので、日本の法律が及ばない海外で発信されるケースもふえており、もうこれはつかまえようがない。

問題はわたしたち目の前にある。それに気づいた者がまず声を発し、動くことしかないだろう。そして、それぞれが立つ場所でできることをやること、願わくはそれらがつながること、そんなことから始めるしかないと思う。

(Mさん、詳細は後日人権文化まちづくり協会のHPや機関誌でおこないますので、これくらいに。)
# by sayamaziken | 2005-12-20 20:42 | 2005年12月 | Trackback | Comments(1)
12月19日、部落史に学ぶ
18日の朝、豊中はうっすらと白いものが舞い降りていた。しかし、ほどなく陽が高く昇り、明るい日差しが差し込み、いつもの風景が蘇る。
16日のことだが、外川正明さんが最新の部落史研究の成果をふまえた部落問題学習のあり方について豊中で講演され、話を聴いた。外川さんは、人権が部落問題を素通りしている現状や、これまでの部落問題学習の主軸であった近世政治起源説の破綻によるとまどいに対して、支配者の側からではなく民衆の側から歴史を見る視点と中世史研究が明らかにした差別と排除と支配の連関とを重ね合わせると、これまでとちがった部落問題学習が見えてくることを自らの実践と例を引きながら2時間あまり熱っぽく話した。もとより、わたしにはそれを再現する力はないので、個人的な問題意識に引きつけて解釈すると、つぎのようになる。

差別は人間が支配する者とされる者、いわゆる階級が成立したことに端を発し、現在もなお続いている。では、部落差別はどのように成立し、今に至っているのか?これまでは徳川幕府が分裂支配のために、士農工商エタ非人の身分制度をつくった(いわゆる「政治起源説」)と説明されてきたが、実はそんな単純ではなく、それ以前の中世と言われる時代(800年前ごろ)に差別視される人々が存在し、それを徳川幕府が身分差別に固めたということが明らかになっている。
では、どうして差別視される人々がつくられたのかということだが、いろんな要素が重なりあっていることはまちがいないが、その一つとして「ケガレ」観念が深く関係している。大雨や洪水、台風、地震、カミナリなどの自然現象、あるいは死や病気、出産など人間の身におこる突然の出来事、これらがおこる理由がわからなかった時代には、人々はそうした出来事を前におそれおののき、神だのみするしかなかった。これは世界中どこでも・いつの時代もあることだが、日本人はこれを「ケガレ」とよんだ。927年につくられた「延喜式」という当時の貴族のくらしの習慣やきまりごとをまとめた書物に「ケガレ」がとりあげられている。たとえば「人の死は30日」「出産は7日」「動物の死は5~3日」と「ケガレ」の期間がきめられ、その間は家にこもらなければならないこと、また「ケガレ」ている人から次の人、その人からまた次の人まで「ケガレ」はうつるとされている。
しかし、いつの時代もこの「ケガレ」の始末をする人がいたわけで、その人たちは「ケガレ」にふれても大丈夫だった。この「ケガレ」を清める仕事(キヨメ)をしていた人々は、神や自然と人間とのあいだをとりもつことができる、いうなれば超能力をもった人々としておそれられ、あがめられていた。ところが、天変地異や人の死がおそれるものではないことがわかってくるようになると、「ケガレ」観念だけが残り、こうした仕事をする人々を差別視するようになり、うまれつき「ケガレ」た者というレッテルがはられるようになる。こうして一定の仕事とそれをする人とが結びつけられ、それらが差別の対象になっていった。
中世史研究家の横井清さんが「この日本列島に住むようになった私たちの祖先が、どのような信仰を持ち、どのような価値観を持ち、どのような外来の文化をうけいれて自分の考えを変えたり、つつみこんだりしてきたかという、ながい歴史のなかではぐくまれた条件や特質というものが、被差別部落というなかに凝縮してきていると見なければならない」と言っているが、部落差別(問題)には1万年の歴史が詰めこまれているということだと思う。
部落差別に限らず、差別というものは理不尽きわまるものだが、それらがなぜ成り立ち、なぜ今も存在するのか?問題解決のためにも、被差別者が差別から解放されるためにも、この問いへの答えさがしをやめることはできない。

# by sayamaziken | 2005-12-19 08:57 | 2005年12月 | Trackback | Comments(0)
12月3日、部落問題は今・・・
 戦後60年の今年は部落問題の解決にとっては「内閣同和対策審議会答申」が出されて40年という年であり、それは「特別措置法」の失効(2002年3月)ともあいまって、一つの大きな時代が終わったことを意味する年でもあります。
 ふりかえれば、焼け野原からスタートした戦後日本社会は、一方で世界に類を見ない平和憲法を持ちつつ、他方で東西冷戦の緊張の高まりとともに「西側」の一員に組み込まれ、朝鮮戦争特需を経済復興の契機とし、驚異的な高度経済成長を成し遂げ、経済大国にのしあがっていきました。また、戦後次々に行われた一連の民主化政策は、それなりに旧体制を破壊しましたが、不徹底なままに終わり、最後にはそれらの“復活”を容認するまでに至りました。
部落問題について言えば、原子爆弾や焼夷弾は被差別部落やそこに住む人々を一掃しましたが、部落差別そのものを根絶することはできず、まさに廃墟のなかから部落差別が再び立ち現れてきたのでした。この事実は、部落差別が単なる物理的なものではなく、日本社会のなりたちと深くつながっていることを示しています。
 そして、民主化の波が被差別部落を素通りし、さながら“陸の孤島”のように取り残されるなかにあって、再建された戦後部落解放運動は、差別行政糾弾闘争や国策樹立請願運動を果敢に展開していきました。そうした苦闘の結晶が「答申」であり、「特別措置法」です。部落差別がどこに・どうあり、それは誰の責任なのか?部落解放運動はこれに対する答を求め続けてきました。環境は言うにおよばず、仕事、教育、健康など生活のありとあらゆる場面におけるきびしさ-社会矛盾の集中-が差別行政の結果であり、その責任は国や自治体にあることを明らかにしたことは画期的でした。
 かくして、過酷な差別のなかで、息をひそめてくらしていた多くの人々が顔をあげ、荊冠旗のもとに結集しました。そして、部落解放運動の高揚は他の被差別者を鼓舞するとともに、人々の差別意識を撃ち、人権意識の覚醒をうながしていきました。
被差別部落自体が画期的な変貌をとげ、そこに暮らす人々の意識変革や社会的関心の広がりと人々の人権意識の高まりがあったにも関わらず、被差別部落に暮らす人々が被差別のトラウマから自由になれず、世間の人々の意識の深層には依然として澱のように差別意識が張り付いている現実が厳然としてあります。差別糾弾闘争も行政闘争も届かなかったこれらの課題に決着をつけることが21世紀の部落解放運動の課題であり、そのためには1世紀におよぶ部落解放運動の経験と英知を駆使しなければなりません。
 そんな思いを新たにするこのごろです。(写真:豊中人権まちづくりセンター)
# by sayamaziken | 2005-12-03 20:40 | 2005年12月 | Trackback | Comments(0)


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