人にはそれぞれの生き方。生き様があり、それは相応に尊重されるべきものだということは知っている。だから、誰彼のそれを咎めだてたり、非難する権利はないし、またしようとも思わない。その人がその人なりの価値観や倫理観、道徳観で処理・対応すべきものだ。だから、性善説・性悪説いずれかと二者択一を迫られれば、迷うことなく前者をとる。
しかし、現実は期待通りにことが運ぶとは限らない。「モラルハラスメント」についての「こころのサポートセンター・ウィズ」のHPを読むと、それが身につまされる。人は、なぜにそこまで厚顔無恥になれるのか?あるいは、舌の根も乾かぬうちに変わり身を見せることができるのか?性悪説が頭をもたげる。
どんなに厳しいことであっても、逃げずに向き合って引き受けること、これが肝心だ。それをしない理由はいくらも見つけることができるが、それで事が済むはずはない。どこまでも事態は追いかけてくる。責任逃れは不可能だ。時間が解決するものでもない。自明なことから目をそむけ続けることは許されない。
問題の所在は明らかで、自他共に認めてもいる。自己保身の殻は既にあちこちにひび割れが生じ、体をなしていない。だが、「害毒」は今もなおたれ流され続けている。