哲学者の萱野稔人(カヤノトシヒト)さんが、週刊金曜日(10月10日)で、こう答えています。
どんな人が馬鹿なのかと考えるより、おそらく人間というのは(もちろん私も含めて)そもそも馬鹿で愚かな存在なのだと考えたほうがいいとも思います。ものわかりが悪いとか蒙昧であるという意味で馬鹿だということではありません。すぐに他人をねたんだり、あるいは逆にちょっとのことで優越感に浸ろうとしたり、さらには他人をどうしても自分の意に従わせたくなってしまうという意味で、です。そのうえ多くの人は、自分は聡明で他人は馬鹿だと思っているものだし、また、自分の利益や満足のために他人を蹴落としたり、非難したり、屈従させたりしながら、それをもっともらしい「大儀」で美化しょうとするものです。
身の回りでもよくある話で、ふむふむとうなずいてしまいます。でも、お馬鹿な人は自分がお馬鹿であることに気付かず、思い至らないことです。そういう人はお馬鹿を通り越して、度し難い人となります。そんな時、私は、啼かぬなら 「殺してしまう」のか、「啼かせてみせる」のか、「啼くまで待つ」のかというホトトギスをめぐる問答を思い起こします。