朝夕の空気、青く晴れた空、虫の声、行き交う人の装いなどに、秋が足早に来ていることを知るこの頃。焼けるような夏の暑さに、したたかになぶられた体は、まだ熱を発し、けだるさの中にある。その上に、「サマーワーク」で一夏中、すり減らされた神経は、一層過敏になり、ギリギリに尖っている。だから、ここは、碇を下ろして深呼吸といこう。
そう、先はまだ長い。それに、褒めてやりたいくらい、仕事は人並み以上にしてきた。馬車馬の如く働くことをその身に課し、夢を紡いできた。シグナルが変わっても、前に、前に、ひたすら歩いてきた。それ以外の生き方を選び取れない不器用さと生真面目さとが同居し、からめとられてきた。
人の期待、人の思惑、それがどんなに厳しく、いびつであっても、眉一つ動かさず、処してきた。スーパーパーソンと錯覚した人は、さらに次の夢を託す。しかし、もう機を織るための羽はなく、鶴は空を飛べなくなっていた。
ええかげんな「仕事」は、人の心を汚すが、ほんまもんの「仕事」は、人の命を削る。夢は、削った命との引き換え。ようよう、心したい。