先日届いた「こぺる」9月号に福岡ともみさんが、部落のいまを考える⑮「人権のプロ」の虚像と実像という一文を書いている。これは、2004年10月におこった部落解放同盟大阪府連幹部によるセクシャルハラスメント事件をめぐる、加害当事者および解放同盟の姿勢と対応の問題点を指摘したものだ。
その最後の「被害者の立ち位置から」と題した項で、次のように述べている。
「人権侵害の視点を持つことは、被害当事者の立ち位置で情景をとらえることから始まる。当事者の目線で感情を想像し、景色をみていくことによって、憤り、哀しさ、悔しさが伝わってくる。解決への道はそこから出発する。そして被害当事者の希望を確かめ合いながら、解決へのプロセスを踏んでいかなければならない。」
これを読んで思わず、“我が意を得たり”と、うなづくと同時に、しっかり読んでほしい人の顔がチラチラした。当たり前のことがなかなか伝わらず、理解されず、加害者が被害者を装うどころか、加害者のご機嫌伺いをする人まで現れる、なんてことまでまかり通ろうとする。
「温情」をかけていることをいいことに、勝手気ままの限りを尽くし、優しさを仇で返すような振る舞いを続ける。一体、どちらが命をきり縮めているのか、甚だしい取り違えも起こる。“斬って捨てる”ことも不可能ではないが、そんな事態は誰も望んではいない。だから、懇切丁寧を貫く。
自らがおかした過ちによって問題がおこり、それは「差別」に関わることだとの指摘を受けて、それを受け入れること頑ななまでに拒否し続け、いたずらに時間だけ空費している。誰の目にも真実は明らかなのに、そうした対応がで済まされ、許されている関係性が生きているからだ。しかし、本当のことは一つしかないし、それを隠したり、曖昧にすることは許されない。
もう一度言う。
被害当事者の立ち位置で情景を見ているか?
被害当事者の目線で感情を想像し、景色をみているか?
被害当事者の憤り、哀しさ、悔しさを感じているか?
被害当事者の希望を知っているか?