不始末をしでかしたり、過ちを侵したり、予想外の事態を引き起こしたり・・・といったことはよくあるというか、避けては通れないことだ。しかし、そうした「事態」の受け取りようは、関係性や立場によって違ってくる。時には、気付かないままに相手を傷つけていることもあるし、その逆もある。だから、そのこと自体は罪でもないし、責めを問われるべきことでもないとも言える。
しかし、自分の過ちに気付いたり、指摘された時にどうするか?ここには、その人の人間としてのありようがそのままに現れる。何も難しいことではないはずなのに、何かしら勘違いというか、ピントの外れた対応をする人もいる。その根っこには、人を鼻であしらうような驕りや倣岸さが見え隠れしているように思う。
人に人として接し、人として遇する。ただこれだけのことだが、これがわからない、できない困った人がいるのも事実だ。そして、その周りの人も、それをたしなめることができず、野放図を許すという無様なありさまだ。かくして、悪循環は無限に続くことになる。
「高をくくる」人はどこにでもいるが、たいてはどこかで頭を打って、変わるものだ。だが、余りに自信過剰であったり、上昇志向が強いと、そうした大切なきっかけは顧みられることなく、踏み倒されることになる。そこに到っては、もはや「ジ・エンド」である。