「部ぬき差ぬき」の部落問題学習や「同和」教育の先に部落問題の解決が展望できるのか?答えは言うまでもない。おそらく、誰もがわかっているのだと思う。しかし、現実に「現場」で部落問題を焦点化した実践をすることは“至難の業”に近いのが実情だ。有形無形、公然非公然のバッシングを覚悟し、それを引き受ける覚悟なしには、一歩たりとも前にはいけない。部落問題を触ることは、今やそれほどに深刻なことになっている。
しかし、そうした事態に迎合する動きが主流となるのも歴史の必然ではあるが、それに抗する動きを生み出すのもまた歴史の必然だ。そして、その格闘の中から事態を止揚するものが現れるのだと思う。だから、悲観や絶望にとらわれる必要はない。私たちは、間違いのない道を歩いているのだから。
さて、土曜日(5日)は大阪府連の大会だ。一連の「不祥事」の「震源地」での大会だから、注目されていいはずだが、既に全国大会が低調に終わったことで、もはや「消化試合」の感がある。役員体制は変わるようだが、それとて「遅きに失した」と言わざるをえないし、劇的な変化でもない。運動方針案にも目新しさはなく、組織と運動優先の発想から抜け出ていない。
だから、私は正直言って、何を発言すべきか、途方にくれている。議論らしい議論は起こらず、「結論」は見えているのだから。それでも、言い続けること、そして、石を投げ続けることは必要だ。だから、気力を呼びおこさねばと思う。