今月、五中の3年生に部落問題をテーマに話をすることになっている。昨年に続いて2年目だが、いわゆる「聞き取り」をめぐって、この間、考えさせられることがあったので、今日はそれについて書く。
私が思うに、「聞き取り」は、聞く方と話す方との信頼関係の上に成り立つものだ。信頼関係がないなかで、「しゃべってくれ」と言われても、「しゃべれない」となる。私が引き受けたのは、この間、五中と私たちが築いてきた信頼関係があるからだ。で、その信頼関係というのは、一朝一夕にはできない。時間と経過がいるし、人との関係がいる。これをつくってきて初めて信頼関係が成り立つ。
その信頼関係の根っこには部落問題があり、そこを抜きには信頼関係はあり得ないことも自明だ。それはここ数年、五中の職員が「部落問題学習をやります!」とアプローチをしてきてくれて、私たちも「これは本気やな」ということで受け止めて、お互いに本気の関係をつくってきた。だからこそ、信頼関係が成立した。部落問題に対する姿勢・向き合い方が確認できたからこそ、ここまで来たのだ。
さらに言えば、「聞き取り」は、聞きっぱなし・言いっぱなしの関係では、だめだということだ。聞いた以上は当然、返すべきだ。そして、それは「ことば」でなく、「ふるまい」「結果」「実践」で示さねばならない。「聞き取り」をする気なら、そこまで、心してかかってほしいものだ。大事なのは、「言葉」ではなく、「ふるまい」だ。重い「言葉」を軽く吐き、軽い「ふるまい」が大切な「言葉」を軽く消し飛ばす、そんなことは仮にもあってはならないと思う。
2007年10月17日の時点において、部落問題学習を教育の核にすえようとして、悪戦苦闘している五中は稀有な存在であることは、間違いがない。そのことには頭が下がる思いがする。同時に、だからこそ不用意な「失敗」や「醜態」で、自分たちの歩みを停滞させてはならない。「それみたことか!」との嘲笑や悪罵、謗りが投げつけられる事態を招いてはならないのだ。それほどまでに私たちは瀬戸際にある。
状況の厳しさが時には、揺り戻しを生むことがあるやも知れないが、培ってきた信頼関係は半端ではないはずだ。これまで共に切り拓き、創ってきたものは、間違いなく私たちの手の中にある。「夢バトン」にかけた夢に灯りをともす、そんな人の輪の広がりを求める旅は続く。