遡ること42年、内閣同和対策審議会は「部落問題の解決は国の責任であり、国民的課題である」と断じ、それを受けて国は「同和対策事業特別措置法」を10年の時限立法で制定した。いわば10年で部落問題の解決をめざしたのだ。しかし、いわゆる「解放令」から100年の遅れを10年で取り戻すことはできず、同法は延長と改正を重ね、2002年3月末まで33年間続くことになった。この事実だけでも部落問題の解決がいかに困難であるかがわかる。
さて、特別対策としての「同和対策事業」の実施のためには「対象地区」を指定(平たく言えば、どこが部落であるのか)することが不可避で、国や自治体は地元とともに「地区指定」を行い、事業を実施してきた。その根拠法でもあった「特別措置法」の失効が今、一部に「混乱」をもたらしている。いわく、法の失効=地区指定の解除=「同和」行政の終結=部落問題の解決だと。
こんな暴論は斬って捨てればいいのだが、ためにする政治グループが執拗なキャンペーンをはり、自治体に同調を求めるという動きをしており、看過できない事態になっているので、あえて取り上げた次第。
歴史的な経過を見れば、事の是非は明らかだ。1969年の「特別措置法」の制定を待つまでもなく、「地区指定」があろうがなかろうが、被差別部落は何百年もそこにあったのは歴史的な事実だ。これは誰も異論がないはずだ。そして、事業実施に際して、「地区指定」が必要になり、「線引き」をするにいたったことも同様に理解できる。
問題はその先で、「特別措置法」の失効による「地区指定」の“解除”の意味をどうとらえるかということになる。イコール部落問題の解決とみる向きは、ストレートに「同和地区」の消滅と解するだろう。だから、ここで問われているのは、今現在の部落問題をどのようにとらえているのか、いわゆる部落差別はどうなっているのかという現実認識だと思う。
部落問題は基本的に解決されており、特別な配慮や手立ては不要だとの認識・立場からは、「同和地区」などという言葉がなおも生き続けることは容認しがたいのだろう。もちろん、そこまでしゃかりきになるのは政治的な意図があるからだが、それにしても不毛な議論だと思う。
部落差別が今なお生きている事例は枚挙に暇がないほどあげることができる。「週刊ポスト」さえもそれを証明している。だから、部落差別は生きているし、部落問題は解決していないことは歴然だ。その部落問題は「どこで生まれたとか、どこで育ったとか」で人が人を差別するもので、「どこ」ということがキーワードになっている。
「同和対策事業」の対象地区としての「同和地区」は法的にはなくなったけれど、差別をうける被差別部落は依然としてそこにあり、日々、差別にさらされている人々がそこにくらしている。まさに、真理はシンプルである、この事実に勝るものはない。
大阪で今、こんな問題がおきている。