2006年をふりかえって思うことは、何をおいても「飛鳥会事件」にはじまる一連の「事件」を材料にした「同和たたき」です。半年におよんだすさまじいマスコミ報道は、部落や「同和」行政に対するマイナス・イメージをばらまき、解放運動や解放同盟に対する信用・信頼を大きくそこないました。
しかし、一連の「事件」は、いずれも部落解放同盟の関係者がからみ、部落解放運動が仕切るべきところでおきています。だから、これらを個人の責任にしたり、「エセ同和行為」だとして運動や組織とは無縁だと切り捨てたりして、やりすごしてはならないと思います。わたしたちのなかから生みだしたものとして、運動や組織のありかたをきびしくみつめ、その原因をつきとめ、社会的責任をはたさなければなりません。
人はだれも自分の弱いところや傷をいたぶられると、むきになって反論・反撃しがちですが、部落解放運動と部落解放同盟の土台がゆらいでいることをしっかりみすえ、うわすべりの対応でおわらないようにしなければなりません。マイナス・イメージもうしなった信用・信頼もかんたんにはとりもどすことはできませんが、「たじろがず・むきあい・ひきうける」ことを心し、歩きつづけたいと思います。
こうしたなか、第五中学校ではあたらしい部落問題学習のとりくみがおこなわれています。これまでも何回か報告してきましたが、かつてのように部落差別の実態や現実がはっきりとは見えなくなったこと、この間のとりくみによって部落内外の格差もなくなってきたこと、他のいろんな人権問題がとりあげられ、人権教育がひろがってきたこと、「法」切れ=「同和」行政(教育)のおわりといったうけとめがでてきたことなど、部落問題をめぐる状況は大きく変わってきています。「飛鳥会事件」などの一連の事件は、こうした部落問題ばなれの状況をいっそう後押しし、「同和」教育への風当たりも強めていることはいうまでもありません。
それでも五中では、校区に被差別部落をかかえる「同和教育推進校」だとのカンバンを忘れず、それどころかそれを高くかかげて、部落問題を軸にした人権教育をすすめてきました。この部落問題と誠実にむきあう人たちの存在はわたしにとっても何よりのはげましであり、ささえです。そして、このとりくみははじまったばかりで、これからさらに続きます。注目し、つながっていきたいと思います。