「解放同盟との大阪市会合 市長出席取りやめ」(毎日)、「団体との交渉前面公開 同和不正で指針を決定 時間・人数限る」(朝日)、大阪市と解放同盟の交渉 市長出席取りやめ」(読売)と、7月3日の夕刊が一斉に報じた。もちろん、「飛鳥会事件」をうけての対応の一環で、今後、同様の「見直し」がさらに続くだろう。
大阪府知事が先月21日に行われた解放同盟大阪府連との「交渉」に出席しているのとは対照的な対応となったが、「飛鳥会事件」の一方の「当事者」でもある大阪市として、何らかの「けじめ」をつける必要に駆られ結果とも言える。時間や人数、場所も制限し、文書交換、マスコミに公開などのガイドラインも決めたようだが、問題はこうしうた措置・対応が何のためになされるのかということだ。
その根底には「飛鳥会事件」への批判に応えるためには、解放同盟との関係の見直しが不可欠との認識があるように思う。いわば、その関係を清算することが「飛鳥会事件」に対する行政責任を果たすことになるといった短絡的な発想が垣間見える。そして、それは解放同盟を「悪役」に仕立て、自らはその被害者であるかのように装うことと繋がっている。これこそ、社会意識としての差別観念を最大限に利用する邪な行為だと言わねばならない。
小手先の、これみよがしの「改革案」に踊らされてはならない。大阪市がなすべきことは、一連の事態を容認し、荷担してきたことの一切を表にだすことだ。マスコミ報道に便乗して、解放同盟攻撃をしている暇はないはずだ。一方の解放同盟も事態を静観するのではなく、自ら問題点を析出し、対応策を提起してほしい。